実は盗用。太宰治文学のキャッチフレーズ「生まれて、すみません」を考えたのは太宰治ではない (2/2ページ)
今であれば、「それは盗用ではないか」「剽窃ではないか」とブーイングが起こりそうな話でありますが、この当時、山岸と太宰の間で「二人の会話に出てきた言葉は早い者勝ちで使ってもよい」という取り決めがあり、太宰はその取り決めにのっとってこの言葉を用いました。
1937年、この「二十世紀旗手」を読んだ寺内は、山岸のもとに駆けつけるなり、顔面蒼白となって「自分の生命を盗られたようなものだ」「駄目にされた。駄目にされた」と叫び、途方に暮れたといいます。
後日、そのことを山岸からきいた太宰は、「あの句は山岸君のかと錯覚するようになっていたのですよ」「わるいことをしたな」と狼狽したそうです。
この事件の後、寺内は文学をやめ、躁鬱病になり、家出を繰り返しながら、とうとう失踪してしまいます。この寺内の生涯に、太宰との一件が関係していたとすれば、太宰は若い作家の芽を無意識に摘んでしまうという罪を犯してしまったことになります。
皮肉なことに、太宰がダメ人間ぶりを露呈させればさせるほど、太宰を語るものとしてこの言葉は、人々に説得力を与え続けました。
「生まれて、すみません」というこの名言からは、二人の作家の生き方と、お互いの行き違いを読み取ることができるのです。
太宰 治日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan