生きていくために。明治の世、職業を失った元武士たちが手がけた様々な名産品とは? (4/4ページ)

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たゆまぬ努力で開発された名古屋コーチン

明治15年頃、既に養鶏業に携わっていた元尾張藩藩士の海部壮平と弟の海部正秀が、中国から仕入れたバフコーチンと岐阜地鶏を交配し、名古屋コーチンは生まれました。

江戸時代までは、闘鶏として飼われることがほとんどで食用ではなかった鶏。しかし尾張藩では江戸時代末期から侍の副業として卵や鶏の飼育を推奨していました。海部兄弟もその「侍養鶏家」の一人でした。二人は職のない元侍たちでも飼いやすい、病気に強くまた売れる品質のよい鶏を生み出すため、たゆまぬ努力を惜しみませんでした。

当初は二人の名前を冠して「海部鶏」と呼ばれていましたが、尾張藩出身の元藩士たちが養鶏場を開いて海部鶏が広まった頃に、近隣の他の地方では「名古屋地方から来た鶏」という意味で「名古屋コーチン」と呼ばれるようになり、その名前が定着したといいます。

そして明治38年に日本家畜協会から、国産実用品種第一号の鶏として認定。平成17年に開催された愛知万博で全国的に知られるようになり、地名度も高まり今に至ります。

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