ハプスブルク家の最後の皇太子 オットー・フォン・ハプスブルクの葬儀 (2/2ページ)
しかし、オットーは常に毅然とした態度でこれらの策略から距離を置き、自分の信念を曲げなかった。
第2次大戦中にはユダヤ人の欧州脱出を援助し、アメリカ亡命時代はオーストリアの権利の擁護に奔走、オーストリアへ帰国後は欧州議会議員となり、ソビエト崩壊後の中東欧諸国の独立と秩序回復に尽力した。
約650年間続いたハプスブルク家の歴史は、そのままヨーロッパの歴史だと言っても過言ではない。帝国の崩壊により国を追われても、オットーは母であるツィタ皇后のもと、帝国の伝統的教育を受け、7カ国語にも登る言語を習得した。どんな状況に置かれても帝国の皇位継承者であることを忘れず振る舞い、常にオーストリアのため、ヨーロッパの利益ために生きた。
■ヨーロッパ精神の体現者だったオットー
オットーは、2011年7月4日、98歳で亡くなった。
ヨーロッパ全体が、戦争という苦しみの中、旧体制から新しい国家へと生まれ変わった100年を生きたオットー・フォン・ハプスブルクという人物は、ヨーロッパの人々にとってヨーロッパ精神そのものだった。ヨーロッパの人々は、そんなオットーの死をもって、オーストリア=ハンガリー帝国の消滅と認識したのではないだろうか。
オットーが幼少時代、ほんの少しの平穏な日々を過ごしたシェーンブルン宮殿は、今日も世界中からの観光客で賑わっている。