特許問題、資金不足…日本人によって発明された世界初のインスタントコーヒーと缶コーヒーのその後

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特許問題、資金不足…日本人によって発明された世界初のインスタントコーヒーと缶コーヒーのその後

一杯のカップになみなみと注がれたコーヒー。黒く輝くその不思議な飲料は、わたしたちの眠気を覚まし、元気にしてくれます。現在、私たちはそんな美味しいコーヒーを、インスタントや缶で、気軽に楽しめることができます。

このインスタントコーヒーや缶コーヒー、「実は日本人によって初めてつくられたもの」なんて知ったら、読者の皆さんは驚かれますか?

今回は、このインスタントコーヒーと缶コーヒーの発明者、それから世界で初めてのインスタントコーヒーと缶コーヒーがその後どうなったかということをまとめてみたいと思います。

インスタントコーヒーの開発に成功した加藤サトリ博士だが…

1899年、化学者だった加藤サトリ博士は、緑茶粉末化の研究から、コーヒー抽出液を真空乾燥して粉末にすることに成功しました。1901年にはニューヨーク州で開催されたパンアメリカン博覧会にて「ソリュブル・コーヒー」として発表し、インスタントコーヒーが世に広まるきっかけとなりました。

ところが大量生産することができず、特許も申請していなかった矢先に、別の手法で作られたインスタントコーヒーが1906年にアメリカで特許を取得し、大量生産にも成功してしまいました。

缶コーヒーを発明した三浦義武

一方、缶コーヒーのほうは、1965年、島根県の喫茶店「ヨシタケ・コーヒー」の店主・三浦義武によって発明されました。

缶コーヒーを世界で初めて開発した三浦義武 (wikipediaより)

コーヒーマニアだった彼は、早稲田大学を卒業後、銀座や丸の内の有名コーヒー店を飲み歩いて研究。独自の抽出方法で薫り高くコクのあるコーヒーを作り出しました。

1942年に島根県に帰郷し、3年後には村長に就任しますが、退任後の1951年にコーヒー店を開きます。そこでコーヒーの研究にいそしみ、ついに世界初の缶コーヒー「ミラ・コーヒー」の開発に成功、販売。200g入り80円で、砂糖入りミルクなしでした。ちなみに商品名の「ミラ」は、三浦とミラクルをかけた名称だそうです。

1966年に出回ったミラ・コーヒーの広報ポスター

ミラ・コーヒーの味わいはとても好評で、その味わいについて三浦とも交流のあった司馬遼太郎は「絵画において富岡鉄斎、陶芸において柿右衛門」と喩えて賞賛するほどでしたが、製造の資金不足に陥り、1968年に製造が中止されてしまいました。

インスタントコーヒーも缶コーヒーも、その後別のメーカーによって大量生産されるようになり、今日私たちが気軽にコーヒーを飲めるようになりました。

その道のりは、決して楽なものではありませんでしたが、コーヒーの門戸を広げた加藤サトリ、三浦義武という二人の人物を、私たちは決してわすれてはならないでしょう。

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