仕事や人間関係を苦しめるものの正体と、そこからの抜け出し方 (2/3ページ)
その根本的な姿勢や考え方(=道理)を見出していなければ、相手に「こいつ、うわべだけでコミュニケーションをしているな」と見透かされてしまうだろう。
表面的なテクニックの奥には、必ず本質となる「道理」がある。それを掴んでいなければ「見せかけの技」となる。
物事が上手く運ばない人は「技」に溺れていないかを見直してみたほうがいいだろう。
仕事で成果を出したい、テストで良い点が取りたい、彼氏彼女が欲しい。こうした思いは、勝負に置き換えれば「勝ちたい」というこだわりがある状態。その欲が強いとプライドが邪魔をしてかえってうまくいかなかったり、頑張りすぎて人間関係がおかしくなったりする。
しかし、勝ち負けや出来不出来にこだわってはいけないというのは、頭ではわかっても「そういう自分になる」のが難しい。主人公の侍もこの点に悩むが、メンター役である古猫は次のような言葉を伝える。
「すべて心の形は妄想じゃ。上も下もなく、良いも悪いもなく、重いも軽いもなく、自分も相手もない。本来一つに融け合って道理に従い移りゆく現実を、勝手な形でとらえておるに過ぎんのだ」 (P90)
「人間は皆、これは辛い、これは楽しい、これが手に入った、これを失ったなどと、現実に勝手な線を引いて苦しんでいる。だが、そうした苦しみの世界を作っているのは、自分の心であることに気がつかなくてはいかん」 (P92)
つまり、そもそも物事の価値観を分けて考えるから「こだわり」が生まれ、ひいては生きていても苦しくなるということだ。この「価値観を分ける」ということを、古猫は面白い方法で侍に説明していく。
「おぬしは、自分の立っている場所をどう称すかの?」
「ここを、でござるか?」
「まさにそれじゃな」
一瞬、何を言われているのかと思ったが、つまり「ここ」ということらしい。