なぜ「エリア51」と呼ばれているのか?その名前の謎を探る

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なぜ「エリア51」と呼ばれているのか?その名前の謎を探る
なぜ「エリア51」と呼ばれているのか?その名前の謎を探る


 UFOにまつわる陰謀論で有名な米ネバダ州グルーム・レイク空軍基地、通称「エリア51」は、2013年に機密文書が公開され、かつて極秘の実験施設だったことが明らかにされた。

 だが、それでもなお未だにはっきりしない疑問点がいくつかある。

 そうした疑問の中でも、どうでもよさそうで、それでいて謎めいているものが、その名称だ。

 はたしてなぜエリア51という名称で呼ばれるようになったのか?

 その名の由来については諸説あるが、特に有力なのは、核兵器実験場として指定されていたことにちなむという説だ。

・前身はラスベガス爆撃・射撃訓練場

 エリア51があるのは、米ネバダ州南部の砂漠地帯に設置されたネリス試験訓練場(Nellis Air Force Range)の敷地内の一画だ。

 そこはネバダ核実験場から見れば北東に位置し、周囲にはトノパー試験場(Tonopah Test Range)をはじめとする、20世紀においては世界でもっとも重要だった兵器試験場が存在する。

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トノパー試験場 image credit:wikipedia public domain

 隔離された場所もさることながら、ほかにも極秘裏に実験や訓練を行うには都合のいい条件が揃っている。

 たとえば、乾燥した気候のおかげで飛行テストがやりやすいし、変化に富んだ地形は兵器実験場にはぴったりだ。

 さらにいざとなればグルーム・レイクをはじめとする乾燥湖に不時着することもできる。

 こうした好環境ゆえに、1940年代初め、一帯は国有地に指定され、以前よりあった私有地は接収したうえで、ラスベガス爆撃・射撃訓練場(Las Vegas Bombing and Gunnery Range)を開設。第二次世界大戦を通して、アメリカ陸軍航空隊の訓練場として利用された。

 これがネリス試験訓練場とトノパー試験場の前身である。


Tonopah Test Range


・冷戦期、核実験場として転用

 冷戦期に入り、核兵器開発の必要性が認識され始めると、エリア51周辺のあまり人のいない地域は、そのためにうってつけな場所とみなされた。

 こうしてラスベガス爆撃・射撃訓練場南部の広範な区域は、ネバダ核実験場として生まれ変わった。


Color footage of soldiers being exposed to high levels of radiation

 その南東の境界からラスベガスまではわずか100キロという距離である。

 だが、エンリコ・フェルミに言わせれば、「住人は、医療の専門家が言う絶対に安全な量よりもほんの少し超えた程度の放射線を浴びる」にすぎなかった。

 とにかく、1951年1月27日、核実験場の南東に位置するフレンチマンフラットという場所で核実験は始まった。

 そして4度の一連の実験が行われたのち、それ以降のほぼすべて(いくつかの例外がある)の実験区画は通し番号で呼ばれるようになる。

 その最初が1951年10月から11月にかけて実施されたバスター・ジャングル作戦が行われたエリア7であり、この慣例が現在まで続くこととなった。


・核実験エリアとナンバリング

 ネバダ核実験場の公式資料によれば、エリアの番号は実験区画に指定されたときに振られたそうで、その位置は資料の地図で確認できる。

 「どのエリアを実験場に指定するかは、パターン化するのを防ぐために、無作為」に行われたらしいが、それを行なったアメリカ原子力委員会の担当者はかなり合理的な精神の持ち主だったようで、番号は1~30で始められた。

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image credit:wikimedia commons


 地図をよく見てみると13、21、24、28が欠けていることが分かる。

 じつはこれらの番号も核実験場の名称としてきちんと使用されている。ただ、ネバダ核実験場の外にあるのだ。

 たとえば、エリア13はネバダ核実験場外の北東部にあり、エリア24は国家核安全保障局のネバダ州支局が管理するラスベガス施設のことだ。

 またエリア28は核実験場南西部のエリア25と27の隣に指定されていたが、やがて両エリアに合併された。

 エリア21は特定が難しい。

 ニューメキシコ州ロスアラモス国立研究所に「テクニカル・エリア21」という場所があるのだが、同研究所でも別の通し番号を使用しているために、ここがネバダ核実験場のエリア21であるかどうかは疑わしい。

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pixabay

・核実験場外でのナンバリング

 エリア21の場所ははっきりしないが、ネバダ核実験場の外部で実験が行われたのは確かなことで、その実験にも独自の番号が振られていた。

 たとえば、エリア13で1957年4月24日に実施された、核弾頭が核爆発ではない爆発で自壊するかどうか確認するための実験は「プロジェクト57」という。

 同様に、1963年5月と6月にトノパー試験場の「エリア52」で、核兵器の”非核爆発”を検証するための場外実験が4度実施された。
 
 さらに1963年10月26日、ネバダ州ファロン近郊の「エリア58」では、12キロトンの爆弾を地下360メートルで爆発させたショール実験が行われた。これは地震の影響を調べることを目的としたものだ。

 確実な話ではないが、エリアの番号が50番台まで存在するという事実は、「エリア51」もその一環であるという推測と矛盾していない。
 
 またトノパー試験場のエリア52がエリア51に近いことも自然だ。


AREA 51: The REAL Area 52 - Tonopah Test Range


・天然資源防衛協議会の核実験リスト

 さして意外でもないことに、極秘だったエリア51で核実験が行われたという直接的な記録はない。

 だが、1945~1992年にかけての核実験を網羅した天然資源防衛協議会のリストには、面白い記録がある。

 このリストにおいて、エリア番号で特定できないネバダ核実験場関連の実験は、フレンチマンフラットでの実験以外に6つある。

 エリア52の「NV州爆撃訓練場」と記載されている4つ、「NV州ファロン」とエリア58のショール実験の2つ、そして1962年5月10日の「a third」だ。

 最後の実験は、兵器関連装置のシャフト実験で、ネバダ核実験場で行われたものとされているが、エリアや具体的な場所の記載はない。

 しかも、実験を行なった研究所や爆発の規模に関連する記録すらなく、クエスチョンマークまで添えられている。

 その名称はローレンス・リバモア国立研究所で実施された同時期の実験と一致しているようだが、それでも興味深い。

 エリア51がネバダ核実験場に近いことやトップシークレットだったこと、周囲のエリアと番号が続いていること、その実験がエリア52の実験が始まる1年前に実施されていること……。

 これらはいずれも、エリア51がネバダ核実験場によって付けられた通し番号であることを示す状況証拠であるように思えるが、真相はいかに?

So....why is it named Area 51? - Neatorama / Amaze and Amuse: So....why is it named Area 51?/ written by hiroching / edited by parumo
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