五木寛之×椎名誠「僕たちはどう死ぬるか」(1)「アサヒ芸能」との所縁 (2/3ページ)
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五木 ぼくは初めてジャーナリズムで対談というのをやったのが、じつは「アサヒ芸能」だったんですよ。
椎名 は、そうなんですかぁ。
五木 その当時、吉行淳之介さんが、「人間再発見」という対談連載のホストを「アサヒ芸能」誌上で務めておられたんです。これはこの雑誌の呼び物で、あの吉行さんの対談に呼ばれたら作家も一人前だみたいな、新人作家の間ではそんなふうな対談シリーズだった。
椎名 ああ、なるほど(笑)。
五木 昭和43(1968)年の10月13日号に掲載されたんだけれど、ぼくはその頃、金沢に住んでいましてね。お声がかかったときには、これでやっと作家として認められたのかと、すごく嬉しかったことを覚えてる。すごく行儀の悪い雑誌だけれども(笑)、亡くなった社長の徳間康快さんの個性がよく出てましたね。
椎名 ぼくは新橋烏森口にあった業界紙の出版社で編集の仕事をしていましたから、徳間書店はご近所で、「SFアドベンチャー」などの読者でしたね。
五木 その対談のときに横でメモをとっている人が長部日出雄さんだったはずです。
椎名 ああ、『津軽じょんから節』の長部さん‥‥。
五木 この人にまかせておけば万事安心だから、と吉行さんは言っていた。そのあとに直木賞をお取りになった。ですから今回「アサヒ芸能」でお呼びがかかるのは50年ぶりです(笑)。
五木寛之(いつき・ひろゆき):1932(昭和7)年、福岡県生まれ。作家。北朝鮮からの引き揚げを体験。早稲田大学露文科中退後、編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞。76年『青春の門 筑豊編』ほかで吉川英治文学賞。