意識障害、狂躁状態…日本の歴史でも影響を与えた感染症・コレラ、チフスとはどんな病気だった?

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意識障害、狂躁状態…日本の歴史でも影響を与えた感染症・コレラ、チフスとはどんな病気だった?

日本でもたびたび流行し、その都度日本の歴史に影響を与えてきた感染症。どこからやってきてどのような症状が出たのでしょうか。今回は、そんな感染症のなかでもコレラとチフスについて詳しく見ていきたいと思います。

コレラ、もとはインド・ガンジス川流域特有の伝染病でしたが、西欧とアジア諸国の交通が盛んになった19世紀に世界中に飛び火しました。1817年、コレラの最初の世界的流行が起きました。

1886(明治19)年 コレラの病原菌として錦絵に描かれた怪獣(木村竹堂画)

コレラ菌に汚染された水や魚介類を飲食することなどによって引き起こされる感染症「コレラ」は、感染後2~3日の潜伏期間を経て、激しい下痢や嘔吐などの症状が出ます。進行すれば、脱水症状に陥り、けいれんや意識障害を起こすほか、場合によっては死に至ることもあります。

日本でも幕末から明治にかけてたびたび流行しています。最初の流行は、1822年(文政5年)のこと。中国経由でコレラ菌が持ち込まれましたが、このときは西日本が中心で江戸には至りませんでした。ところが、1858(安政5)年には日本全国に流行し、江戸だけで10万人、一説には26万人ともいわれる死者を出しました。そこから、当時の人々はこの病気を「コロリ」と呼び、「虎狼痢」「古呂利」などとも当て字をしていました。

元々「コレラ」という病名は、ギリシャ語の「kholera」から来たもので、これは“胆汁”を意味する「Khole」に由来しています。それをコロリと呼んだのは、文字通り感染すれば2~3日程でコロリと死んでします恐ろしい病気だったからです。

一方、「チフス」のほうは、古代ギリシャの医師ヒポクラテスが命名したとされています。この病気にかかると、高熱のために幻覚や錯覚を引き起こし、ときに狂躁状態に陥ることもあります。頭に霧がかかったような、靄の中にいるような状態になるため、ヒポクラテスはこの病気をギリシア語で「霧」「もや」を意味する「typhus」と表記しました。チフスという名前はそこから由来しています。

チフスは、戦争、貧困、飢餓など不衛生な環境下において流行します。日本では、1897年(明治30年)に制定された初めての感染症対策のための法律である伝染病予防法において、腸チフス、パラチフス、発疹チフスの三種類がいずれも法定伝染病として記載されていました。また、太平洋戦争の戦況が悪化した1946(昭和21)年には3万2000の人がチフスに罹患し、シラミの駆除が大きな社会問題となりました。

現在、日本国内で大発生ということはなくなりました。しかし、あまり大きく取り上げられませんが、海外旅行の旅行先などでコレラやチフスに感染して帰ってきて問題になるケースもあるようです。

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