北島三郎と石川さゆり、NHK紅白歌合戦で夢の顔合わせ「演歌の花道」秘話

日刊大衆

北島三郎と石川さゆり、NHK紅白歌合戦で夢の顔合わせ「演歌の花道」秘話

 わが国を代表する2人の超大物歌手が、この大晦日に再び相まみえる。大スターたちの知られざる“秘話”!

 12月4日、北島三郎(82)の通算51回目となるNHK『紅白歌合戦』出場が発表された。この演歌界の大御所は、2013年に前人未到の50回目の出場を果たすと番組を勇退。ところが、出場を望む声が多いことから、NHKが粘り強く復帰の交渉を続け、特別枠での5年ぶりの登場が決まったのだ。これで、自身が持つ最多出場の記録を更新することになる。

 一方、紅組の最多出場者は今年、41回目の出場を決めた石川さゆり(60)だ。これは、男性歌手を含めても、2位の森進一と五木ひろし(ともに48回=森はすでに勇退)に次ぐ歴代4位の記録となる。

 今回は、『紅白』の放送を目前に控えた年末に、歌謡界に君臨する、我らが“オヤジ”サブちゃんと歌姫・さゆりの、これまでの足跡を振り返ってみたい。

 北島三郎(本名:大野穣)は、1936年(昭和11年)に北海道の函館に近い、津軽海峡に面した小さな村で生まれている。終戦から9年後の54年、歌手を夢見たサブちゃんは高校を卒業後、初めて海峡を渡り、東京を目指す。上京後は、親戚宅に下宿し、工場でアルバイトをしながら、「東京声専音楽学校」という学校に通った。「そこはクラッシックの歌を教える学校でした。ただ、そこで歌の基礎を学んだことが、後に歌手としての大きな財産となるんです」(大手レコード会社OB)

 歌は上達した。しかし、歌手になるための具体的な手段が分からなかった。「そんなとき、街角で〈歌手求む〉の張り紙を目にした“オヤジ”は募集主を訪ねた。すると、それは流しの歌手の元締め的な人物だったんです」(前同)

 華やかなレコード歌手の募集ではなかった。 「それでも、“歌ってお金をもらえるのなら”と、東京・渋谷を拠点に流しの歌手を始めたんですよ」(同)

 その生活は約6年も続いた。サブちゃんが連日連夜、酔客を相手に3曲100円で歌っていた頃に、石川さゆり(本名:石川絹代)は熊本県に生まれている。

■漫才コンビを組んで活動も

 さて、なかなか表舞台に立つことがなかったサブちゃんだが、25歳の頃に思わぬ転機が訪れる。偶然、日本コロムビアの関係者と知り合い、作曲家の船村徹(故人)を紹介されるのだ。さっそく船村に弟子入りし、レッスンを受けながらチャンスを待つも、デビューは決まらない。

 仕方なく、食べていくために、同じ門下生と漫才コンビを組んで活動している。「映像は残っていませんが、ギターを抱えた歌謡漫才だったとか。コンビ名は『ゲルピン・チン太・ポン太』。チン太が北島さんでした」(芸能プロ関係者)

 ただし、ネタはほとんどウケなかった。「台本は船村さんが書いたらしいですが、すぐにお払い箱になったようです(笑)」(前同)

「北島三郎」の芸名でデビューできたのは62年。 ところがデビュー曲の『ブンガチャ節』は、なんと発売1週間で「歌詞が卑猥である」との理由から放送禁止に。いきなり出鼻をくじかれたのだった。

 しかし、運良くセカンドシングル『なみだ船』がヒットすることで、人気歌手の仲間入りを果たし、翌年には『紅白』に初出場。そして、65年には『兄弟仁義』『帰ろかな』、さらに『函館の女』が連続大ヒット。『兄弟仁義』は東映で映画化され、自らも出演。こちらもヒットシリーズとなることで、スターの地位を盤石なものにした。「『函館の女』は当初『東京の女』という曲でした。ところが、どうもピンとないことから、故郷のご当地ソングに変更。カラッと明るい曲調は北島さんのキャラにハマり、愛される曲となるんです」(同)

 72年には、所属していた新栄プロダクションから独立。「北島音楽事務所」を設立している。

■森昌子、山口百恵、石川さゆりで3人娘として売り出そうとしたが

 そんな頃、当時、中学3年生だったさゆりは『ちびっ子歌謡大会』(フジテレビ系)に出場し合格。ホリプロにスカウトされ、歌手への切符をつかんだ。そして、15歳だった73年に『かくれんぼ』という曲でデビューする。 「当時、ホリプロは、森昌子(60)、山口百恵(59)、そして、さゆりを3人娘として売り出そうとして、『としごろ』(73年)という映画で共演させています」(芸能誌記者)

 ところが、すぐにさゆりのポジションは、他の2人と同じ『スター誕生!』(日本テレビ系)出身で事務所が違った桜田淳子(60)に取って代わられてしまうのだった。以後も人気は上がらず、昌子、百恵の活躍を悔しい思いで見ることになる。「ただ、その頃のさゆりは、故・三橋美智也や二葉百合子(87)の門を叩き、芸域を広げている。この時代があったからこそ、今の彼女があるんです」(同)

 風向きが変わったのは、77年。『津軽海峡・冬景色』が、その年を代表する大ヒット曲になるのだ。『日本レコード大賞』最優秀歌唱賞を受賞し、『紅白』に初出場。かつての中3トリオに、ようやく追いついたのだった。その後も、『能登半島』『沈丁花』などがヒットし、『紅白』の常連に。代表曲となる『天城越え』のリリースは86年のことだった。

 サブちゃんとさゆりには、いくつかの共通点がある。まず挙げられるのは、プロ意識の高さだろう。「北島さんは、82歳になっても声量がまったく衰えず、体型も変わらない。これは陰で相当の努力をしている証拠です」(スポーツ紙記者)

 こんな面もある。「座長公演ではスタッフ、共演者と楽屋で同じ釜の飯を食べる。そうして周囲を盛り立て、気を配り、結果的に舞台を成功に導く。これもプロ意識の高さの表れでしょう」(前同)

 さゆりも、おごることなく芸を磨く姿勢を見せる。「師匠の二葉百合子さんから引退の意思を告げられると、“お体に気をつけて。また、歌を教えてください”と謙虚に告げたとか」(同)

 二葉門下生は他に、坂本冬美(51)、原田悠里(63)、藤あや子(57)、石原詢子(50)、島津亜矢(47)ら錚々たる面々がいる。後輩たちは、長女的存在である、さゆりの背中を見て育った。また、演歌の枠にとらわれず、椎名林檎(40)など、さまざまなミュージシャンと交流し、楽曲の可能性を広げる姿勢を見せる。

■映画やドラマでも活躍する芸達者ぶり

 歌だけではなく、芝居も得意とする芸達者ぶりも両者に共通している。サブちゃんは、『兄弟仁義』シリーズほか、東映の任侠映画に多数出演。テレビドラマ『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)での、め組の頭役でもおなじみだ。さらに、4578回続けた座長公演では、数々の演目に挑んでいる。

 一方、実は、さゆりの芸能界デビューは女優業だ。「レコードを出す前にも、『光る海』(フジテレビ系)というテレビドラマに出演していました」(同)『津軽海峡〜』のヒット後も、空港が舞台の刑事ドラマ『大空港』(フジテレビ系)に刑事役で出演。映画『トラック野郎・故郷特急便』(79年)にはマドンナ役で登場。NHK大河ドラマ『功名が辻』にも顔を出した。

 また、2人は16年に、そろって缶コーヒー『BOSS』のCMに出演している。「北海道新幹線開通をモチーフとし、青森側で石川さんが『津軽海峡〜』を、函館側で北島さんが『函館の女』を口ずさむという内容でした。2人が国民的歌手であることを証明する起用だと言えます」(広告代理店スタッフ)

 そして、何よりの共通点は、大晦日の名物番組に長く出続けたことだ。歌手・音楽プロデューサーなどマルチに活躍し、『紅白歌合戦の舞台裏』(全音楽譜出版社)、『昭和歌謡の謎』(祥伝社)ほか、多くの著書のある合田道人氏は、『紅白』における2人を、こう語る。「石川さんは毎年、新曲を出しているのに、この10年ほどは、『津軽海峡〜』と『天城越え』を交互に歌い続けています。そうすることで、この2曲は“大晦日にはあの曲を聴きたい”と思わせる、一種の風物詩になったんです」

 ただし、両曲には大きな違いがある。「100万枚ヒットの『津軽海峡〜』と違い、『天城越え』は発売年に4万枚しか売れなかった。それを、『紅白』の舞台で歌い続け、誰もが知る代表曲にした。これは、北島さんの『まつり』にも言えることです」(前同)

 サブちゃんも、当初は突出したヒット曲というわけでもなかった『まつり』を、平成に入ってから6回も歌い、年末の定番曲に押し上げていったのだ。そしてまた今年、『まつり』を5年ぶりの『紅白』で披露することになった。

 こうした2人の代表曲は、演歌の“神曲”として、若者にも認知されている。 「お二人は、『紅白』を通じて、日本の宝である演歌というタスキを若い世代につないだ。すごいことをやってのけたんです」(同)

 平成最後の大晦日が待ち遠しい!(文中一部敬称略)

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