「扇と仏教との関係」ーー扇は仏教によってどのように発展してきたか

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「扇と仏教との関係」ーー扇は仏教によってどのように発展してきたか

今年の夏は例年にない酷暑だった。気象庁によると、6月から8月までの天候の特徴として、日本の南海上では太平洋高気圧の西への張り出しが強く、本州付近には西よりの暖かい空気が流れ込みやすかった。その結果、東・西日本の平均気温が高くなった。沖縄・奄美では、太平洋高気圧に覆われて晴れた日が多かったため、東・西日本同様に高かったことを挙げていた。今となってはすっかり過去のことになってしまったが、強烈な夏の日々に、扇子を持ち歩いて使っていた人も多かったのではないだろうか。

■扇の起源や種類

そんな扇子、または扇とは、そもそも何なのかを考えてみたい。あおいで風を出したり、儀式や舞踊の際に用いたりする道具であることはいうまでもない。しかし「扇」は単なる日用品にとどまるものではなかった。

そんな扇には2種類ある。1つは薄い木片を糸でつづり、下端を要(かなめ)で留めた檜扇(ひおうぎ)。もう1つは竹木を骨として紙を張った、蝙蝠扇(かわほりおうぎ)だ。扇そのものは、平安前期には既に用いられていたという。はっきりとしたことはわからないが、奈良朝時代に、昔の1万円札に描かれていた「聖徳太子」が持っていた中国式の笏(しゃく)が形を変えて檜扇となり、高位の男性が手に持つようになった、とも、善神を招いたり、悪神を祓ったりするための呪具としての役割を果たしていた、とも、経文などを書いた薄い木簡を下端で束ねた杮経(こけらぎょう)が由来だという説がある。

■男女で異なった扇の使い方

また、常々扇をふところにしまっておいた男性とは異なり、高位の女性は、扇を表に出して持っていたため、美しい彩色が施されたり、絵が描かれたり、色とりどりの紐を柄につけて垂らすなど、自らの魅力を引き立てる重要な装身具のひとつとして発展した。更に『今鏡』(1170年頃成立)では、崇徳(すとく)天皇(1119〜1164)が当時女御(にょうご)であった聖子(きよこ、1122〜1182)の御所で小弓の競技をした際、賭け物の褒美を出すのに、扇に張るための上等な紙を、束ねた冊子の形に仕立てさせ、そこに和歌を書き記したと記載されるなど、典雅な遊び道具の役割を果たしてもいた。いずれにせよ、今日のように、扇は風を起こすための道具として考案されたものではなかったのだ。

■扇と仏教の関連性 「扇面古写経」

扇の使われ方の仏教的な発展の一例として、「扇面古写経(せんめんこしゃきょう)」というものがある。これは平安後期、当時は末法思想と法華経信仰が貴族階級の間に流布していたことからつくり出されたもので、扇の地紙に、風俗を描いた大和絵と経文が記されている。その事例は、大阪・四天王寺と東京国立博物館に残る、国宝『扇面法華経冊子(せんめんほけきょうさっし)』だ。表紙に法華経を修する行者の守護神として位置づけられている「十羅刹女(じゅうらせつにょ)」が平安時代の女房姿で描かれている。

本来『扇面法華経冊子』とは、法華経8巻と開経(かいきょう、最初のお経)の無量義経(むりょうぎきょう)・結経(けっきょう、最後のお経)の観普賢経(かんふげんきょう)の冊子10帖から成るものだが、現在は四天王寺に法華経巻1、6、7と開結(かいけち)2経の5帖、東京国立博物館に法華経8の1帖、合計6帖分が残る他、滋賀・西教寺(さいきょうじ)・藤田美術館(大阪)・出光美術館(東京)・個人所蔵の5扇分の断簡(だんかん。切れ切れになって残っている文書・書簡など)が残るのみである。

『扇面法華経冊子』に描かれた大和絵は素朴な筆致で、貴族や庶民の日常生活を描いているが、経の内容とは直接的な関係はないとされている。

■扇の製作方法とは

残された扇の製作技法を調べると、以下の違いがある。

A類は、料紙に雲母粉を地塗りし、線描で下図を施した上に彩色し、濃墨で描き足したもの(27面)。B類は料紙に直接木版で下図を刷り、雲母の地塗りで覆った上から彩飾仕上げを施したもの(18面)。C類は雲母地の上から下図を墨刷りし、彩色や描き起こしを加えたもの(9面)に大別される。それ以外にも、B類とC類の木版下図を部分的に用い、画面の他の部分に彩色画を加えたもの(5面)など、実に手の込んだつくりとなっている。

1164(長寛2)年、平清盛が一門の繁栄を祈念し、一族とともに厳島神社に奉納した『平家納経』のような「装飾経」の頂点を極めたものとは趣は異なるが、『扇面法華経冊子』は1152(仁平2)年頃製作され、鳥羽法皇の皇后・高陽院(かやのいん)が願主として大阪・四天王寺に奉納したという説が有力だ。製作意図は今となっては不明であるが、贅を凝らした扇面写経であることから、法華経に託された仏への強い帰依を物語るものだと言える。

■法華経の流布に一役買った扇

平安時代当時と必ずしも同じとは言えないが、法華経信仰そのものは、現在もなお、多くの人々に広く保たれている。その理由として、美術史家の宮次男は、法華経は「明快に、悪人成仏・女人(にょにん)成仏を説き、またさまざまな譬話や聖者の伝記などを利用して、わかりやすく親しまれる内容を持っている」こと。そして経の中に「瞑想中の釈迦仏の眉間から光が放たれて、東方の一万八千の仏国土を照らし、それぞれの仏国土の最下層の地獄から最上層の天界までの森羅万象を出現させる」、「釈迦仏が法華経を説くと、それを聴くために多宝(たほう)如来の坐す大宝塔が地上から湧出して空中に昇り、地上高く静止すると、釈迦仏の仏国土はその瞬間に理想の楽園に変わり、また全世界に散在していた無数の釈迦の分身仏が飛来して集合する」などの「気宇広大」な世界が描かれていることを挙げている。

■最期に…

2018年、公益財団法人日本漢字能力検定協会による「今年の世相を表す漢字」は「災」だった。その理由は「北海道・大阪・島根での地震、西日本豪雨、大型台風到来、記録的猛暑など、日本各地で起きた大規模な自然『災』害により、多くの人が被『災』した。自助共助による防『災』・減『災』意識も高まり、スーパーボランティアの活躍にも注目が集まった。新元号となる来年に向けて、多くの人々が『災』害を忘れないと心に刻んだ年」ということだった。

2019年の漢字は、『扇面法華経冊子』の奉納者が求めた「救」、そしてその思いや行動を表す「祈」など、希望のある言葉が選ばれればいいのだが。

■参考文献

■『歴史用語辞典』正進社(編者・出版年不明)
■三品彰英「扇」服装文化協会(編)『服装大百科事典』1969年(上巻 83−84頁)文化出版局
■植村和堂『写経 〔見方と習い方〕』1982年 二玄社
■宮次男「扇面法華経冊子」濱田隆(編)『国宝大事典 1 絵画』1985年(172−173頁)講談社
■宮次男「『法華経』の美術 法華信仰とその造形」上原昭一・金岡秀友・宮次男・宮田登・山折哲雄(編)『図説 日本仏教の世界 3 法華経の真理 救いを求めて』1989年(12−63頁)集英社
■青山淳二「扇」福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邊欣也(編)『日本民俗大辞典 上』1999年(228頁)吉川弘文館
■秋山光和「扇面法華経冊子」今泉淑夫(編)『日本仏教史辞典』1999/2016年(606頁)吉川弘文館
■野口眞澄「十羅刹女」黒川雄一(編)『日本歴史大辞典 2』2000年(466頁)小学館
■佐野みどり「扇面法華経冊子」黒川雄一(編)『日本歴史大事典』2000年(793頁)小学館
■高木豊「法華信仰」黒川雄一(編)『日本歴史大事典』2001年(703頁)小学館
■河北騰『今鏡全注釈』2013年 笠間書院

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