長嶋茂雄、初めて明かされる驚嘆の「伝説エピソード」

日刊大衆

※画像はイメージです。
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 2018年7月に体調不良のため緊急入院。一時は危篤状態とも報じられた“ミスタープロ野球”長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督(82)が、12月13日に退院。太田区田園調布の自宅に戻っていることが分かった。

「回復は順調で、もう家の中を歩いて、リハビリを本格開始しているそうです。目標としている2月の宮崎キャンプ視察も現実味を帯びてきました」(スポーツ紙デスク)

 今回、そんなミスターが残してきた「永久不滅」伝説の数々を、初めて明かしたい。伝説の始まりは、立教大学野球部への入部前。スポーツ紙元記者は語る。

「“鬼の砂押”と言われた立教の砂押邦信監督は、まだミスターが高校3年生の秋、“うちの練習を見においで”と呼んだんです」

 だが知将が、ミスターを見学だけで帰すわけがない。「紅白試合で代打起用したんです。すると長嶋は、大学生の外角低めいっぱいのストレートを叩いて右中間に強烈なライナーを飛ばした。砂押監督は、その力強い打球と、カモシカのようなランニングを見て、その才能に一目惚れ。ケガをさせてはいけないと“長嶋くん、もういいよ”と、セカンドベースからベンチに引っ込めました」(前同)

 このときの投手は、後にプロに行く石原照夫氏。「後で石原に聞いたら、“あれを打たれたなら仕方ない”と脱帽してました」(同)

 その立教大学では、六大学リーグの通算新記録となる8本塁打を放ち、プロ注目の選手となったが、この8号ホームランの裏には、こんな話があったという。

「4年春に7号を打ってから、8号の瞬間を連続写真で捉えようと、報知新聞は米国製の映画用カメラ『アイモ』を毎打席回すようになったんです。しかし、その後、8号がなかなか出ないまま、打率も3割を切ってしまいました」(同)

 秋も初戦の東大戦がノーヒットに終わり、調子が上がってこないミスター。

「すると、報知に、マネージャーを介して“アイモを回すのを止めてほしい”というミスターの要望が伝えられたそうです。その理由は、アイモの“ジーーッ”というフィルムが回る音が気になるからと。満員の観客の大声援と応援団の応援歌が響く球場で、彼はその、これまでにない音を聞き分けていたんです。信じられない!」(同)

 その後、ミスターは巨人入り。そして早くもその年の夏には4番に座り、リーグ優勝に貢献。その野性的でイキイキとしたプレーがファンを魅了していった。そんな長嶋は当然、練習のときから異彩を放っていたという。

「キャッチボールも、興が乗ってくると、本能的にボールを前で取ろうとするのか、ミスターは距離をどんどん縮めてしまうんです。でも、本人はそのことに気づいておらず、スローイングの速度は変わらない。最終的には至近距離での剛速球でのキャッチボールになり、パートナーを務めた選手は“怖い”とこぼしていました」(元巨人軍関係者)

 長嶋氏と三遊間コンビで、V9時代の巨人軍を支えた黒江透修氏も、その一人。当時のことを聞いてみた。

「あの長嶋さんが相手ですから、いい球を投げないとと思うと、ついリリースに力が入ってしまう。長嶋さんとのキャッチボールは、こちらも神経を遣いました。試合中は、長嶋さんが難しいゴロを華麗にさばいて一塁でアウトを取ると、その後、内野手でボール回しをするでしょう。通常1~2回、回して終わるところ、長嶋さんは気分が良いと5回も6回も続けてしまう。アンパイアに“いい加減にしろよ”と注意されることもよくありました(笑)」

 さらに1月4日発売の『週刊大衆』最新号では、まだまだ長嶋氏が持つ「伝説エピソード」をたっぷりとお届けする。

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