川崎麻世&カイヤほか「別居」を経験した夫婦たちの“マル秘”ウラ事情
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18年間も別居生活を続けてきた川崎麻世が、カイヤとの離婚を求めて裁判を起こしたことが18年10月に発覚した。2人はお互いの不仲はもちろん、浮気や不倫までネタにした離婚するするキャラのビジネス夫婦であることは周知の事実だったが、ここに来て、本格的に離婚への道を歩み始めたようだ。双方とも離婚には合意しているようだが、慰謝料などの金銭問題で揉めているというウワサも。そんな中、カイヤ側の弁護士が突然辞任し、10月30日に予定されていた第1回口頭弁論が中止になった。別居と同様、離婚訴訟もズルズルと長引いて泥沼化する予感しかしない?
夫婦が「別居中」だと聞くと、一様に離婚寸前という印象を持ちがちだが、10組の夫婦がいれば、10パターンの別居のかたちがあるようだ。
18年2月に小泉今日子との不倫を公表した豊原功補は、自身の公式サイトで「私と小泉さんとの関係性はご本人からの報告にあるように、互いに志を共にするパートナーシップであり、恋愛感情も伴っております。そして私が既婚者であるということも事実です」と発表するとともに、「家族とは三年近く以前より住まいを別にしており、家族はこの仕事とは携わりのない明らかな私人」などと発表。
その2日後に行われた会見でも「家族と別居したきっかけは小泉さん?」と聞かれると、「そういうことになります」と認めた上で、「家族に対して様々な厳しい思いを強いてしまっている。本当に自責の念は尽きません」としながらも、離婚については「今に始まったことではありませんが、夫婦間、家族間、そして親類の中で、どういうかたちを選択すべきか、それぞれの心でずっと考えている。僕は多分ひと言も(離婚協議中と)言った覚えはない」と返して明確な回答を避けた。
稲川淳二は18年5月18日に放送された『5時に夢中!』(TOKYO MX)で、別居生活が28年目に入ったことを報告した。「うちは元の会社がつぶれちゃって、急きょ個人事務所にして、しかたなく女房を社長にしたら、お金と一緒に消えちゃった」と説明し、「今も女房から給料をもらってます。くれてるだけ偉い。居場所は相変わらず知りません」と語り、「28年の別居中、5回ぐらい会ってるから、うまくいってるんじゃないですか」「元気でいることは知ってます」などと一風変わった夫婦関係を明かした。
16年には記者会見の場で「(妻は)お金が入ればいいんだもの。”亭主元気で留守がいい”とはよくいったもの。こんな理想の亭主はいませんよ」と自虐しつつ、離婚については「することはない。離婚は愛があるからすること。愛があるから裏切られたときに腹が立つんでしょう? 私は愛を置いてきた」と述べている。
稲川と同い年のビートたけしも、別居のベテランだ。17年7月22日に放送された『新・情報7days』(TBS系)で、「家出しちゃえばいいのにな、オレみたいに。40年間家出してるけどな。別に週刊誌も取り上げてくれないけど…」と、もはやネタにすらならないことを自虐し、「カギも持ってないしね。『どなたですか』って言われたことあるしね。子どもが『たけしがたまに来る』って自慢してた、って話もあるしね」などと、たけし節を炸裂させた。
離婚については、18年3月に「オフィス北野」から独立し、愛人とされる女性と一緒に設立した新事務所に移籍したのと同時期に、離婚調停も申し立てていたのではないかとウワサになっている。妻が裁判所からの呼び出しに応じなかったという説もあるが、事務所と同様、家庭の移籍にも成功するのだろうか?
17年4月に結婚した当初から、いきなり別居説と離婚危機がささやかれていたのは菊川怜だ。総資産200億円といわれる実業家の穐田誉輝氏と入籍直後に、4人の婚外子がいることが週刊誌で報道され、その事実を知らなかった菊川は同居に踏み切れずにいたらしい。
しかし約1年後の18年6月19日に放送された『チマタの噺』(テレビ東京系)では、9歳年上の旦那とは「ケンカにはならない」「料理は得意じゃないが、旦那はおいしいと言ってくれる」などと語った上で、「夫が友達を連れてきたときは鍋をした」とも述べているため、同居しているかどうかは別として、順調な結婚生活を送っているようだ。その後、7月10日に放送された『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)で、MCの明石家さんまに「どうですか? 結婚生活は?」と聞かれたときも、笑顔で「楽しくやっております」と応じている。
17年3月に浮気が報じられた渡辺謙は、報道を受けて南果歩と別居を開始。同年7月に開いた会見で、不倫に関して「おおむね事実」と認めた上で、「何よりも妻には本当に苦しい、悲しい思いをさせてしまった」と謝罪し、「ゆっくりと軌道修正を図っているところです」と離婚は否定していたが、約1年後の18年5月に別居を解消することなく、そのまま離婚した。
最終的に離婚に至った夫婦と言えば、吉田栄作と平子理沙も挙げられる。2人は97年に結婚したが、吉田がアメリカで俳優修行中だったため、入籍当初から日米で離れて暮らす別居婚をしており、吉田が帰国後も「恋人感覚を忘れないように」という理由で別の家で生活していた。そうした独自のスタイルで、18年も結婚生活を続けたが、その間には双方に熱愛報道が出るなどして、仮面夫婦と呼ばれていた。2人は、15年の12月に「互いの仕事や生活環境の変化に伴うすれ違い」を理由に、離婚した。
独自のスタイルをキープしたまま、離婚することなく、結婚生活を全うした夫婦の筆頭は、やはり樹木希林と内田裕也だろう。2人は結婚から約1年半で別居をスタート。45年間の結婚生活では、無断で離婚届を提出した内田に対して、樹木が離婚無効の訴訟を起こしたり、内田が交際女性への強姦未遂・住居侵入容疑で逮捕された後に樹木が妻として謝罪会見を開くなど、実にさまざまな試練が巻き起こった。
しかし、樹木は亡くなる4か月前の18年5月に朝日新聞に掲載されたインタビューの中で、「大変な思いもしたけれど、ああいう人とかかわったというのは、偶然じゃないという気がしてきた」と述べ、死後は自分で購入した内田家の墓に入ると明かしていた。さらに「あの世では同居? そうね。でも骨だから。しゃべることはないから。ムカッとはしないでしょう」とユーモラスに語っていた。
一度別居すると、一つ屋根の下に戻って結婚生活を継続するよりも、離婚に至る可能性のほうが高くなるという説もあるが、当事者同士や家族が、それで良しとしているのであれば、別居には何も問題はないのかもしれない。夫婦にはその夫婦にしか分からない機微や事情があるのだから……。