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下山事件

週刊実話

 1949(昭和24)年といえば、日本が太平洋戦争に敗北して4年目の年。未だ東京は空襲の爪痕がいたるところに残り、天皇に代わってGHQ(連合国最高司令官総司令部)が間接統治していた時代で、政治では第3次吉田内閣(民主自由党)が発足していた。当時の社会の動きといえば労働争議が多発し、不可解な事件が連続して起きていた。「下山事件」(7月5日発生)「三鷹事件」(7月15日発生)「松川事件」(8月17日発生)だが、これらの事件の背後には、GHQ内の権力闘争が底流にあったことが後年、明らかにされている。

 「三鷹事件」「松川事件」についての詳細は省くが、「下山事件」の結末はどうなったのかといえば、この事件こそGHQの組織にあった「キャノン機関=米軍の謀略機関」や「CIC=米軍の対敵防諜部隊」が登場し、また、旧日本軍の特務機関員や中野学校卒業生の関与が噂され、法医学も巻き込んで死体の「生前轢断(他殺)」説と「死後轢断(自殺)」説がマスコミの取材を、ヒートアップさせてしまった事件として、今も生々しく伝えられている。また、「犯人」が消えてしまい、真相がブラックボックスに閉じ込められていることから、「未解決事件」として見知っている方も多いのではないだろうか。

 筆者がこの事件に関心を持ったのは、十数年にわたって追跡してきた「中野学校卒業生の戦後史」がきっかけであった。事件の核心に触れたのは卒業生の1人を取材した時で、本人は仮名(既に88歳で逝去)を条件に取材に応じてくれた。前沢義昭(仮名)の徳島の自宅で行われた取材で、彼はまず、中野学校出身であることを告げた。
「中野は42年7月に三丙(入学は41年9月)で卒業しました。初任地は関東軍情報部のハイラル支部で終戦まで満州各地の支部を転属し、最終任地はハルビン特務機関で階級は大尉でした」

 戦時中の活動について質問したが、答えは「特務工作」と語るだけで、工作の詳細は語ってくれなかった。
「いろいろありまして、中野校友会の会員にも入っていません。仲間で私がここ(徳島)に住んでいることを知っているのは、秋田に住むCIC時代の友だけです。CICは『下山事件』とも関係のあったセクションなんです」

 筆者は前沢の言葉に驚愕していた。元中野学校卒業生と下山事件の関係。筆者はかつて卒業生の複数人は「実行犯云々は別にして、あれだけの犯行を決定的な証拠も残さずに実行できたのは、謀略のノウハウを熟知した人間だろう」という証言を得ていた。そして、関心を持つ卒業生には「動機という点では金銭は関係なく、背景には政治謀略があったと思う」と分析する者もいた。だが大半の卒業生は「我々の仲間が事件に関与していたことなど絶対にありえない」と全否定している。だから、当事者の口から下山事件が出るとは思いもよらなかった。

 事件に関する数多くの著作物についての感想を聞いてみた。
「死因の究明よりも、この事件のキーワードが何なのかを考察すれば、おのずと事件の全体像が把握できるはずなんです。関連書で労作と評価の高い矢田喜美雄さんの本(『謀殺下山事件』祥伝社)に出てくる『フジイショウゾウ』。彼のことを中野学校出身の日系1世で、GHQのGー2(参謀部第2部)の指揮下にあったSPD(公安課)に勤務していた人物と書いていますが、フジイは「藤井正造」で、日系1世ですが中野学校の出身ではありません。私は、彼に協力して隠退蔵物資の摘発や労働組合の内部情報などを集める仕事をしていたんです」

 前沢はCIC時代に「藤井」とチームを組んで仕事をしていたと証言した。

 ここで藤井正造について簡単に説明しておく。フジイはシビリアンで、本国ではOSS(CIAの前身)の工作員をしていたが、日本語が流暢ということからGHQに志願してCICに配属された人物だ。諸々の著作物によれば「藤井」は工作活動に「下平」のトリックネームを使っていた中野学校出身者と書かれているが、前沢は「フジイは下平の変名は使っていません。下平は別人で、その人物は私の後輩で二俣(陸軍中野学校二俣分校)を卒業した男なんです」と証言、その言葉には有無を言わせぬ説得力があった。「藤井」の正体をここまで明かした人物を、筆者は初めて知ることになった。

 だが、肝心の「下山事件」と中野学校の関係を前沢から聞くことは叶わなかった。一縷の望みは前沢が生前に語っていた「もう1人、真相を知る人物が秋田にいます。その男と相談してみます」と、遺した言葉であった。

 その時、前沢は10年前に届いたという年賀状に書かれた名前(大山智也=仮名)、住所と電話番号を教えてくれた。

 前沢義昭の訃報に接して1カ月も経っていなかったが、筆者は大山のことが気がかりで2009年の初秋、秋田に飛んだ。事前の確認で夫人から大山が闘病生活を続けていることを聞かされていた。病院は日本海に面する風光明媚な場所にあった。かつて秘密戦士として活躍していた大山は、3階の大部屋で南向きに据えられたベッドに横臥していた。大山は92歳になっていた。果たして真相を語ってくれるのか。突然の訪問なので、追い返されるのではないかと、正直不安であった。だが、不安は杞憂に終わった。

 大山は車椅子を利用していた。ベッドを離れると器用に車椅子を操り、筆者を従えて屋上のサンルームに案内した。
「あなたのことは前沢から聞かされていました。亡くなったそうですね、あいつ」

 短い言葉に前沢の死を悼む情感がこもっていた。
「いずれ、あなたが訪ねてくると思っていました。あなたの著作は読んでいます。下山事件と中野学校を結びつけて取材をされてこられたのは、あなたの成果でしょう。私が暗殺チームの一員であったことは前沢から聞き及んでいると思いますが、あの事件の背景には当時の社会情勢が重くのしかかっていたんです」

 筆者は大山の無防備とも思える第一声に一瞬、自分の耳を疑ってしまった。大山は「暗殺チームの一員」と、はっきりと語ったのである。それと、「殺人事件」を「暗殺」という言葉で表現したのだ…。
「私は、中野の前期を卒業しています。学校は今の東京外大、当時は東京外国語学校と呼んでおり、英文科を卒業したんです。初任地は関東軍のハルビン特務機関で、そこで前沢と出会ったんです。同窓(中野学校)の仲間でした。引き揚げてきたのは46(昭和21)年の夏でした。戦後、就職したのはCICで、ここを紹介してくれたのは中野時代の上官でした」

 大山の口調は緊張感もなく、淡々としていた。
「CIC、ご存じですね。この組織はウイロビーが実権を握っていたGー2の直轄部隊で、戦犯摘発から協力者のスカウト、共産党や労働組合の監視、政治家、官僚のスキャンダル探しなどを仕事にしており、活動は全国をネットワークしていました。隊員の日常業務は中野時代の偵諜という任務が主でした。偵諜とは視察対象者の行動観察のことです。我々はチームボスのことを『ファースト·ルテナント·マーカス』と呼んでいました。おそらく偽名だったでしょう。階級は陸軍中尉でした。私も中野時代は『丸橋』という変名を使っていましたから、マーカスの態度が分かるんです。彼は幹部の中では珍しく日系ではなく白人の将校でした。私のチームには前沢と下平の2人がいましたが、下山総裁を三越から拉致したのは別のチームなんです」

 筆者は固唾をのんで大山の話に耳を傾けていた。そして次の言葉を待った。
「私はマーカスの通訳兼連絡係でした。彼から聞かされたのは、あの事件では拉致実行班と暗殺実行班の2つのユニットが動いたそうです。私は直接、殺害現場を見ていませんが、千葉の館山が現場だったと聞いています。それと総裁暗殺の背景には、当時の国鉄労組を政治的に利用するというシナリオがあったんです。下山さんは、言ってみれば、その犠牲者だったんです。おそらく、下山さんに代わる人物が総裁になっていれば、その人物が犠牲者になったでしょう。下山さんはスケープゴートにされたんです。政治の力学は“総裁職”をターゲットにしたわけですから……。私は下山さんを暗殺した下手人ではありませんが、CIC時代はフジイにも協力して右翼、左翼の情報を集めていました。それと下山さんに関する情報も集めていたんです。中野時代に学んだ知識が大いに役立ちました。皮肉なものですね、占領下で中野の教育が役立ったとは」

 筆者は質問を発せず必死になって取材ノートに大山の言葉をメモする。
「下山事件。私にとって生涯消えぬ人生の汚点です。誰にも話すつもりはありませんでしたが、前沢の訃報を知ってあなたに話す気になったんです。下平も亡くなり前沢も逝った。私と前沢の2人は中野の校友会情報で、行方不明扱いになっている卒業生なんです」

 筆者は最後の質問をした。大山さんは事件に関わったことを「人生の汚点」と言ったが、それは、どんな意味なのか…。
「事件当時、私は31歳でした。CICに勤めたのも、中野時代のノウハウを戦後の社会で活かしたかったんです。しかし、“下山暗殺”目的が政治的動機にあったことを事件後に知り、50年にCICを辞めました。下手人ではありませんが、下山暗殺チームで仕事をしたことが私の人生の汚点なんです。イデオロギーや金銭は関係ありません。プロの諜報員としてのプライドが支えだったんです」

 話し終えた大山の口元は微笑んで見えた。その心情は60余年の澱を一気に吐き出したあとの安堵感。微笑みがそんな心象として残った。
「陸軍中野学校と下山事件」ーー。追跡行はやっと終着点が見えてきた。大山はいま、手記を書いている。大学ノート10冊になるという大山手記。どんな内容が告白されているのか。「下山事件」の真相が明かされる日も、そう、先のことではないのかもしれない。
(文中、証言者は本人の希望で仮名とした)

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