田中角栄「名勝負物語」 第四番 三木武夫(3) (2/3ページ)
とくに、フォード大統領へ書簡を送った件は党首脳陣もまったく知らされておらず、「苦渋の選択」で三木を田中の後継に裁定した椎名悦三郎副総裁は強く反発した。三木政権“生みの親”として、その動きは迅速だった。当時の政治部記者の証言がある。
「国会答弁でも、ひょうひょうとしておトボケが得意だった椎名だったが、このときの怒りは相当なものだった。『三木は今国会終了後に退陣させる』と。椎名はまず、5月9日に田中の盟友の大平正芳蔵相と会ってこの線で合意、翌日には福田赳夫副総理と同様の合意を取り付けた。田中派、それに福田、大平の両派がスクラムを組めば、三木に勝ち目はない。これを知った三木は言った。『自分に課せられている使命や責任を、中途半端に放棄することは絶対ない』と。
国民の支持は、自分にあるとの自信が強気の背景だったようだ。一方の田中と言えば、自分自身の問題だっただけに平静を装っていたが、田中派の結束を固める一方で、盟友の大平のケツを叩いていた。じつは、“三木潰し”に血道を上げていたということだ」
★「三木にやられた」と田中
この田中、福田、大平の3派の動きは、「第1次三木おろし」と言われた。これによりピンチに立った感のある三木だったが、事態が急変する。7月27日、東京地検が外為法違反容疑で田中の逮捕に踏み切ったからであった。
時の法律専門家からは、「外為法違反容疑で逮捕というのは別件逮捕であり、しかも外為法という形式的な行政犯で逮捕したというのは大きな問題である」との見解も出たが、「田中=クロ」と決めつけていたメディアの多くが小躍りし、国民もまた多くが拍手を送ったものだった。田中は東京地検特捜部の取り調べに、もとより全面否認した。
田中は結局、起訴(外為法違反と受託収賄罪)され、逮捕から20日経って東京拘置所から2億円の保釈金で保釈されることになる。前出の元政治部記者の証言の続きがある。
「じつは、田中逮捕の夜、三木派の河本敏夫通産相、井手官房長官、中曽根派の中曽根康弘幹事長、稲葉修法相らは、料亭で酒宴を開いていた。これを知った田中派議員が激怒し、口々に『こういうときに酒宴とは何事か』『通夜の晩に酒盛りとはあまりに不心得すぎる』と声を荒げていた。