専門家が警鐘! 日本列島を襲う巨大地震8連発 (3/5ページ)

週刊実話

当時の古文書には、上野城の東西大手門の石垣が崩れ、番人4名が死亡し、地滑りなどの被害も大きかったことが記されている。死者は995名。うち伊賀上野付近の死者は625名、負傷者994名、家屋倒壊2270戸、蔵倒壊306件に上った。

 そして、1854年12月23日(嘉永7年11月4日)に南海トラフであるM8.4の安政東海地震が発生した。

 ロシア海軍士官のモジャイスキーはプチャーチンによる開国交渉のロシア艦隊の旗艦ディアナ号に同乗していた。ところが、安政東海地震による津波で同船は大破、修理のため向かった戸田村(現沼津市)への回航中に嵐に遭い、宮島村(現富士市)沖で沈没してしまったのだ。

 南海トラフ地震で現在、心配されているのは巨大地震の連鎖で、当時も同じ現象は起きていた。安政東海地震の翌日には、四国の高知沖で安政南海地震(1854年12月24日)が発生し、その2日後に豊予海峡地震が起きたのである。

「豊予海峡地震はM7.4、安政南海地震はM8.4の巨大地震です。近畿から四国、九州東岸に至る広い地域に甚大な被害を与えました。津波の被害も多く、土佐地域では、推定6から7の大津波が押し寄せ、372人が溺死した」(同)

 安政南海地震による全国的な被害状況は全壊家屋2万余戸、半壊家屋4万余戸、焼失家屋2500余戸、流失家屋1万5000余戸、死者約3万人と推定されている。

 中央構造線が活性化していたため、内陸でも直下型地震が起きた。

 1855年3月18日(安政2年2月1日)には飛騨地震が発生している。白川郷を震源に発生したM6.8地震だ。死者12人だったため、あまり記録も残っていないが、その8カ月後には、前述した安政江戸地震が発生しているのだ。

「中央構造線は現時点で活性化しています。関東ローム層の厚い堆積物で覆われているため、東京近辺はどこを通っているか不明だが、北は茨城から南は都内まで諸説ある」(前出・島村氏)

 もし、都内を通過して太平洋に抜けているとすれば、安政江戸地震の襲来もよく理解できるところだが、昨年の大阪北部地震を経験している我々にとっては、非常に気になる点がある。

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