170年以上も続く友情!今も深まるジョン万次郎と彼を救ったホイットフィールド船長の交流

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170年以上も続く友情!今も深まるジョン万次郎と彼を救ったホイットフィールド船長の交流

アメリカ船に拾われたジョン・万次郎

19世紀半ば、漁の最中嵐に遭い、アメリカ船に拾われたジョン・万次郎こと中濱万次郎。当時彼を助けた捕鯨船は、ジョン・ハウランド号という船で、ウィリアム・ホイットフィールド船長によって運航していました。

14歳で遭難・漂流し、アメリカへ渡った中濱万次郎

万次郎は、そのまま船に乗ってアメリカにわたると、ホイットフィールド船長の養子となって英語や航海術などを学びました。漂流してから十年後、ようやく日本に帰国することが万次郎。当時の日本では海外渡航が禁止されていたため、日本人が見たこともない文明社会で生きた万次郎は、幕府や後の新政府双方に重宝されたといわれています。

万次郎を遭難から救ったジョン・ハラウンド号の船長。

特に、1854年にアメリカとの間で結ばれることになる日米和親条約締結の陰の功労者として、その後の日米関係に大きな役割を果たしました。

そんなジョン・万次郎ですが、実は生前、万次郎がアメリカ人にジョンと呼ばれたことは一度もありません。アメリカに渡った万次郎の愛称は「ジョン・マン(ジョン男)」。これは、彼を拾った捕鯨船「ジョン・ハウランド」の名称から来ています。

「ジョン・万次郎」という呼称は、井伏鱒二が1937(昭和12)年に発表した『ジョン万次郎漂流記』という小説の中で使われていたものが有名になり、現在もジョン・万次郎という名前が一般的になっています。

ジョン・万次郎とホイットフィールド船長との友情

さて、そんなジョン・万次郎とホイットフィールド船長との友情ですが、およそ170年以上続いた今でも、交流を深めているそうです。

また、かつてホイットフィールド船長が住み、万次郎も一時期下宿していたマサチューセッツ州フェアへブンにある船長の自宅は、2009年5月に「ホイットフィールド=万次郎友好記念館」として開館。現在も日本人とアメリカ人の歴史を超えた結びつきを強めてくれています。

フェア・ヘブンにあるホイットフィールド=万次郎友好記念館

後にアメリカの第30代大統領・クーリッジは、「万次郎の帰国はアメリカが最初に大使を日本に送ったに等しい」と話しています。

その後、日本とアメリカという全く異なる二つの国々は、お互いの国にとって悲しい時代も乗り越えて、現在も強い絆で結ばれているのです。

参考:ジョン・万次郎直系の子孫、中濱京氏のブログ

ジョン万次郎

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