木片で尻ぬぐいですと!?超びっくり!な日本のトイレの歴史【前編】

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木片で尻ぬぐいですと!?超びっくり!な日本のトイレの歴史【前編】

ウォシュレット、蓋の自動開閉、便座温め機能・・・。高機能な日本のトイレは今、世界中で高い評価を受けています。では逆に昔はどうだったのか気になりませんか?

というわけで、今回は日本のトイレの歴史を紹介します。

縄文時代

縄文前期の鳥浜貝塚(福井県)で発掘された桟橋式トイレが現存する日本最古のトイレではないかと言われています。川の上に桟橋を渡して、そこから川に向かって用を足し、流してしまっていたのです。

飛鳥時代

平安京に遷都するまでのわずかな期間の幻の都・藤原京の遺跡からは土坑式トイレが発掘されています。穴が掘ってあり、左右に渡してある踏板を足場にし、穴の上にしゃがんで用を足しました。

なんとこの時代、「籌木(ちゅうぎ)」というアイスの棒のような木片で尻をぬぐっていたらしく、穴の遺跡から多数見つかっています。

画像:籌木 Wikipediaより

いくらなんでも木片は痛いような・・・。今と比べるとずいぶんお尻に対してスパルタだったのですね。

平安時代

さて、みやびなイメージのある平安時代です。当時はなんと固定のトイレというものがありませんでした。そのため、貴族に関しては「樋箱(ひばこ)」や「清筥(しのはこ)」と呼ばれるポータブルトイレを使っていました。

樋箱(出典元

樋箱はその名の通り箱の形をしていて、その中に用を足します。ポータブルといっても、いつでもどこでも自由にトイレというわけにはいかないので、寝殿造の広い部屋の一角を御簾で簡易的に仕切り、用を足していました。

1回1回片付けるわけですが、用を足すのはもちろん高貴な方々なので自分でトイレ掃除するはずもなく、樋箱お掃除係が中身を外に捨てては洗っていました。

樋箱にも多種多様な種類があり、円筒形のもの、四角いもの、漆塗りのもの、蒔絵で美しく装飾してあるものなど・・・。高貴な方はお気に入りの「マイ樋箱」を盛っていたのかもしれませんね。

一方、庶民に目を向けますと、樋箱などあるわけもなく、かといって個室トイレがあるわけでもなく。当時の絵巻には、路上の隅っこに穴を掘って、しゃがんで用を足す様子が残されています。今からすると考えられない状態だったのですね。

平安後期~鎌倉初期ごろの作品「餓鬼草紙」

(後編に続く)

参考文献:屎尿・下水研究会編「トイレ 排泄の空間から見る日本の文化と歴史」ミネルヴァ書房

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