【まもなく終了!】鎌倉幕府三代将軍・源実朝の没後八百年記念特別展が鎌倉国宝館にて開催中 (2/3ページ)
「軒端の梅よ……」実朝公の死と、予言の歌
実朝公が亡くなったのは、建保七1219年1月27日。
鶴岡八幡宮に拝賀した際、石段の左脇にある「大銀杏(※)」に隠れていた公暁(くぎょう。頼家の嫡男で出家していた)によって斬殺されました。

月岡芳年「美談武者八景 鶴岡の暮雪」より、公暁に暗殺される実朝公。明治元年1868年
(※)現代でこそ巨木となっている銀杏ですが、八百年前から人が隠れられるほどの大きさだったかどうかは、いささか疑問です。
どうやら実朝を「(引退後に暗殺された)頼家の仇」と勘違いor逆恨みしていたようですが、これで源氏将軍の血筋は絶えてしまいました。享年28歳の若さでした。
ここで不思議なエピソードが一つ。
実朝公は出かける前、軒端の梅が咲いているのを見て、こんな歌を詠んだそうです。

「出でいなば 主なき宿と 成りぬとも 軒端の梅よ 春をわするな」
【意訳】「私が出ていってしまえば、この家は誰もいなくなってしまうが、それでも梅よ。春を忘れず(来年からも)咲いておくれ」
まるで「自分が今日、殺される」ことを予言するかのような歌ですが、その根底には、自分を傀儡化(スポイル)して独占を図る北条一族に対する無力感と厭世観があったように感じられます。