江戸時代、餓死者放置は当たり前!?人肉をも食べた恐ろしい飢饉の真実【その2】 (2/2ページ)
成人男性は米5合、女性や子供、老人は3合を1日分として計算し、10日分を支給したそうな。1日分5合って、今の人だったらお腹パンパンになりますよね・・・。
さて、問題はこの米、どっから集めたのっていう話です。天明の飢饉を教訓として、以降50年、幕府は頑張って上方から江戸に米を集めていたのです。そのおかげで江戸の庶民の被害は比較的小さく済んだものの・・・。
困ったのは米を江戸に持っていかれた大坂。天保8年、ついに事件が起きます。大坂町奉行で与力を務めた華麗なる経歴を持つ大塩平八郎が「救民」の幟を掲げて放棄し、豪商の家を襲ったのです。
大塩平八郎の乱 Wikipediaより
これが日本史の教科書に出てくる「大塩平八郎の乱」です。乱はすぐに鎮圧されましたが、皮肉な話ですよね・・・。
明治以降ちなみに飢饉ではありませんが、明治初期に日本を訪れた外国人グリフィスの手記によると日本には「乞食や餓死者が当たり前のように転がっている」といった描写があります。維新後も、飢えの問題は日本全体を覆っていたのです・・・。
参考文献:
江戸文化歴史検定協会「江戸諸国萬案内」株式会社小学館 グリフィス「明治日本体験記」東洋文庫
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan