「いだてん」第7話振り返り。三島家と乃木希典とのつながり「ボーイスカウト」は乃木大将が持ち込んだ?
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「いだてん」第7話が放送されました。
前回の第6話の振り返りはこちら。
「いだてん」第6話振り返り。あの立派な東京高等師範学校のロケ地は龍谷大学大宮学舎オリンピックに出場すると決めた四三と弥彦。今回は走りのトレーニングではなく、海外で過ごすためのテーブルマナーや英会話のトレーニングが主でした。阿仁子夫人に「フォーティースリー(四三)」と呼ばれながら慣れないナイフとフォークに苦戦していましたね。夫の大森兵蔵のほうは咳き込む描写もあり、心配です。
三島家と交流があった乃木大将さて、今回ちらっと一瞬だけ登場した乃木希典。明治天皇崩御とともに殉死したことでよく知られる軍人です。作中で、この乃木大将が三島家と交流があったとして紹介されていましたね。「乃木大将が出入りする家」だとおののく四三。自分の家との格の違いを知る一場面でした。
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出典:国立国会図書館ウェブサイト
紹介されていたとおり、三島家と交流があったらしい乃木大将。銀行家で子爵の三島彌太郎は幅広い人脈を持っていたでしょうから、付き合いがあってもおかしくありません。
彌太郎の息子・通陽と乃木大将とボーイスカウト三島家とのつながりを示すものに、彌太郎の息子・三島通陽(みちはる)が著した「回想の乃木希典」というタイトルの本があります。このタイトルだけで、なるほど家族ぐるみで親しかったのだな、と想像できますね。
この三島通陽、小説家、劇作家として活躍したほか、貴族院議員にもなっていますが、もうひとつ忘れてはならない肩書があります。それがボーイスカウト日本連盟を結成したボーイスカウト日本連盟初代理事長兼中央実修所所長。日本にボーイスカウトを広めた立役者のひとりであるということです。
実は、日本にボーイスカウト運動をもたらしたのは乃木希典だったといわれています。日露戦争で二人の息子を失った乃木大将は、明治天皇の勅命により明治末ごろには学習院で院長をつとめていました。院長でありながら、毎日のように寄宿舎で子どもたちと寝食を共にし、学生たちからは大変慕われていたようです。
乃木大将はイギリスのキッチナー元帥と交流があり、そのキッチナー元帥はボーイスカウトの創立者・ロバート・ベーデン=パウエルと友人同士だった。そういう流れで、乃木大将がボーイスカウトを知る機会があったのだと考えられます。乃木大将は、学生たちを連れて片瀬海岸でキャンプをしました。これこそ日本のボーイスカウトの発祥といわれています。
そして三島通陽。ボーイスカウトを広めた人物のひとり。通陽は家でも乃木大将と交流していたでしょうが、彼もまた学習院の出身でした(高等科中退)。
ボーイスカウト運動に関わった人物の中には、乃木の当時の教え子が多くいます。三島通陽も乃木の教育を受け継いだひとりだったのです。
いだてん~東京オリムピック噺~日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan