プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ザ・シーク」老いてなお盛んな“アラビアの怪人” (2/3ページ)

週刊実話



 あらためて経歴を見直すと、シークは初来日のときにデビューから20年以上のキャリアを持つ大ベテランであり、言い換えればほとんどの日本のファンは、シークの全盛期を知らないということにもなる。

★デビュー5年でNWA王座挑戦

 アメリカのミシガン州でレバノンからの移民の家に生まれたシークは、17歳のときに陸軍へ入隊。第二次世界大戦に出征し、除隊後の'50年にスカウトを受けてプロレス界入りを果たした。

 時期的にはイスラエル独立に伴う第一次中東戦争が停戦となった直後であり、シークがデビュー当初からアラビア人ギミックを採用したのは、そうした影響もあってのことだろう。なおシークとはアラビア語で首長や長老、賢人などを意味する言葉である。

 デビュー5年目にはルー・テーズのNWA王座に挑戦しており、その後もディック・ザ・ブルーザーやドン・レオ・ジョナサン、バーン・ガニアといったビッグネームたちとの対戦記録が残っている。

 アラブ文化を象徴する、輪っかで留めた薄布の頭巾(クーフィーヤ)をかぶり、侍女をはべらせるなどのアラブ王族スタイルは、この時期にシークが始めたものであった。

 頂点であるNWA世界王座の戴冠こそなかったが、これに準ずる各地区のトップタイトルを数多く獲得していることからも、そのヒール人気は全米トップクラスであったことがうかがえる。

 のちにその代名詞となるデトロイト地区の興行権を取得したのは、'64年のことである。
「アラブ王族のギミックと『プロレススーパースター列伝』の印象から、金に物を言わせて権力を欲しいままにしたと思っているファンもいるでしょうが、自ら稼いだファイトマネーで興行権を買い取ったというのが実際のところ。新日本プロレス参戦時に同地区で選手引き抜きのクーデターが勃発したため、シリーズ途中で緊急帰国したように、決して絶対的なボスというわけでもなかった」(同)

 もしもシークが裏の顔役であったならば、そもそも自らリングに上がる必要はなく、それで血みどろの流血戦などを道楽にしては度がすぎる。
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