嵐・櫻井翔がいまも「忘れられない料理」を作ったのは“後輩の母”だった

アサジョ

嵐・櫻井翔がいまも「忘れられない料理」を作ったのは“後輩の母”だった

 仲の良さには定評がある嵐。大野智が脱退を真剣に考えはじめた17年6月以降、メンバーは何度も話し合いを重ね、食事を共にし、今年1月27日の活動休止発表記者会見にたどり着いたという。

 そもそも嵐はコンサートの地方公演後、スタッフも交えてメンバー皆で食事をとることが多い。個人で出歩くと騒ぎになるため、それを避ける狙いもあるようだ。

 そんな嵐は16年前、コンサート後に食べたある食事が忘れられないという。5人の宿泊先に届けられたのは特製の鍋料理。作ったのは、のちにジャニーズの後輩となる少年の親だ。

「その後輩とは、Kis-My-Ft2の千賀健永です。千賀は実業家である母親の知人の知人が櫻井翔だったこともあり、幼いころに会っているんです。母親はかつて地元の愛知県内で飲食店を経営していたので、名古屋レインボーホールでコンサートを終えた嵐の宿泊先に、店の自慢鍋を届けたというわけです」(アイドル誌ライター)

 このとき千賀は12歳。母親に連れられて初めて観た嵐のコンサートだった。宿泊先のホテルにも一緒に行き、目の前で5人が鍋をつつく姿を見ている。

「このころから千賀にとって櫻井は兄貴のような存在。初の嵐ライブで衝撃を受けて、幼いころから習っていたダンスを生かすべく、自らオーディションに参加。一発合格しています。しばらく名古屋で活動していましたが、上京。07年に滝沢秀明プロジェクトで結成されたダンスユニット『舞闘冠』のメンバーに選出されています」(前出・アイドル誌ライター)

 今なお、兄と弟という最高のカンケイが続いている櫻井と千賀。櫻井を慕うジャニーズの後輩は多く、また櫻井もかわいがっている後輩は数知れず。それでも素人の頃からよく知り、成長を見守ってきたのは千賀ただひとり。それが千賀の原動力であり、プライドなのかもしれない。

(北村ともこ)

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