六道珍皇寺にある地獄へつながる井戸!?小野篁にまつわる地獄伝説

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六道珍皇寺にある地獄へつながる井戸!?小野篁にまつわる地獄伝説

小野篁(おの の たかむら)という人物をご存知ですか?平安時代前期の公卿で文人で、遣唐使でもあった人物ですが、知ってる人はあまり多くないはず。

公卿で文人と聞くと、朝廷で働くイメージがありますよね。確かに、篁は日中は朝廷に出勤するサラリーマンでした。しかし、実は夜になると別の世界で働いている・・・というウワサが彼にはありました。

平安時代のびっくりサラリーマン・小野篁をご紹介します!

仮病を使って遣唐使としての渡航を拒否

篁は22歳の時に朝廷に出仕し、その後順調にキャリアを重ねていきました。32歳の時には遣唐使に選ばれ、唐を目指して、2度出航していますが、どちらも船の難破により、帰国しています。

そして3度目の出航。当時、遣唐使は難破による全滅を防ぐため、何隻かに分かれて出航していました。

この時、遣唐大使(遣唐使のキャプテン)が乗る船が破損で漏水していたため、大使は遣唐副使(副キャプテン)だった篁に「君が壊れた船に乗れ」と言いました。

この時代、ただでさえ危険な船旅にもかかわらず、壊れた船に乗って行けなんて言われては篁も黙ってはいません。篁は抗議の後、仮病を使って出航を拒否。遣唐使といえば、国家の今後を担う一大プロジェクト。これを仮病で拒否するなんて、当時は前代未聞でした。これがきっかけとなり、篁は隠岐へ島流しとなってしまいました。

そんな反骨精神を持っていたからでしょうか。篁は昼は朝廷に出勤しているが、夜は地獄に出勤して、閻魔大王の補佐をしている、という驚きのウワサを生前から持っていました。

そして、なんと、篁が地獄へ出勤する際に使ったという井戸が京都の「六道珍皇寺」に残っていました!

篁が使った?地獄へつながる井戸がある「六道珍皇寺」

六道珍皇寺は京都府東山区にあるお寺。六道珍皇寺がある場所は、鳥辺山という平安時代からある墓所の麓です。当時は亡くなった人を鳥辺山のお墓に埋葬する前に、この場所で最後のお別れをしました。ですから、この場所は「あの世とこの世の境」(六道の辻)と言われ続けているのです。

境内に入ると「あの世への入り口 六道の辻」と書かれた、少しギョッとする提灯が。

撮影は禁止ですが、篁像と閻魔大王像があります。篁像は等身大といわれており、なんとその身長は180cm!現代でも高身長ですから、平安時代の人達してみれば、まさに巨人だったのではないでしょうか…

そして、篁が地獄へ出勤する際に使ったという伝説が残る井戸。日中の出勤が終わったあと、篁は夜な夜なこの井戸を通って閻魔大王の下に行っていたのでしょうか。

こちらの井戸は普段は非公開になっています。年に数回公開期間があるので、チェックしてみてくださいね。

実は百人一首の一人だった篁

篁ですが、実は百人一首に選ばれいます。

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣舟

『釣り船の漁師さん、私は大海原に浮かぶ無数の島々を目指して行ったと京の人に伝えてほしい』という意味です。

まさに、島流しの際に詠まれた歌です。もう京都には戻れないことを覚悟で詠んだ歌だったかもしれません。しかし優秀だった篁。2年後には罪が許され、無事に京都に戻り、順調にキャリアを積んでいきました。

小野篁と彼にまつわる地獄伝説。もしかしたら、篁は持ち前の反骨精神と高身長という人目を惹くその存在から、閻魔大王の補佐なんていうウワサが流れたのかもしれませんね。

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