水没した都市。かつて本当に存在した10のロストシティ

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水没した都市。かつて本当に存在した10のロストシティ
水没した都市。かつて本当に存在した10のロストシティ

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image credit:rheins/wikimedia

 水中に没した都市と聞けば、まずアトランティスを想像することだろう。古代ギリシャの哲学者プラトンが、著書の中で記述し、繁栄を極めたこの伝説の都市は、人々が傲慢になったことで神の怒りに触れてしまい、海の底に沈められたと言われている。

 古来よりさまざまな人々の想像をかき立ててきた伝説であるが、その実在は今にいたるまで確認されていない。

 しかし、世界にはきちんと実在する水没都市がいくつも存在するのである。

・10. ダンウィッチ(イングランド)


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References:Dunwich

 11世紀、ダンウィッチはイングランド随一の都市であった。しかし13~14世紀にいく度も台風に見舞われてしまう。

 数十年をかけて海岸が侵食され、その間、住人は水没を食い止めようと必死になって堀を掘った。しかし、その甲斐なく、ついにはその大部分が海中に没してしまった。

 地元の博物館には、町の3Dモデルが展示されているが、実際に潜って確かめることは難しい。一帯の海水はまるでコールタールのように透明度が低く、視界が悪いために、写真撮影もほとんど無理なほどなのだ。・9. バイア(イタリア)


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References:britannica

 バイアは、ナポリの西16キロの地点にある古代ローマの半水没都市だ。町の名は『オデュセウス』の舵取りバイオスにちなむと言われている。

 気候が穏やかで、非常に住みやすい場所だったらしく、ローマ人お気に入りの公衆浴場もあった。人々は快楽主義的な生活を送っていたらしく、詩人セクストゥス・プロペルティウスは「淫らと悪徳の巣窟」と述べている。

 それに相応しい繁栄を誇っており、長い間ローマの要所であった。皇帝ネロの暗殺を企てたガイウス・カルプルニウス・ピソの出身地でもあり、彼の邸宅も発見されている。

 火山によって一部がナポリ湾に沈んだが、1941年の発掘調査によって道路や壁、オデュッセウスとバイオスの石像などが、1700年間水中にあったとは思えないほど良好な状態で発見された。・8. ヘラクレイオン(エジプト)


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References:telegraph

 1000年以上前に沈んだと考えられているヘラクレイオンには、トロイア戦争の原因となったヘレネとパリスが訪れたと伝えられている。

 かつては神話上の都市だと考えられていたが、1999年に発見。発掘調査では、5メートルの石像をはじめとする、無数の財宝が発見された。

 水没が始まったのは3世紀頃とされており、8世紀には完全に水の下に消えてしまった。その原因は、壮麗な建物の重量だった可能性もある。

 ギリシャ文字や古代エジプト文字が彫られた数百点の石像や石版のほかに、金貨やかつてはミイラが収まっていたであろう石棺が発掘。さらには数多くの船の残骸も見つかっており、ヘラクレイオンが重要な交易港であったことが窺われる。

・海底に眠るエジプトの古代都市、ヘラクレイオンとその失われた財宝 : カラパイア・7. ラベンサー・オッド(イングランド)


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References:historyanswers / youtube

 中世の海賊の根城であり、住人は盗賊や放浪者のような連中ばかりだった。もちろん海賊なので、町に近寄る船に接近しては、上陸するよう”説得”したことだろう。

 意外にもきちんと自治されており、町長もいたし、裁判所や刑務所のほか、絞首台といったものもあった。

 住人は税金が免除されていたが、かわりに近くを通りかかった船から熱心にお金を徴収したわけである。

 しかしやがて波の浸食を受けるようになり、住人が逃げ出すようになる(その行く先々の教会で強盗を働いたようだ)。そして1362年1月の大嵐によって、永遠に海中へ沈んでしまった。・6. ケコヴァ(トルコ)

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References:turkishtravelblog

 2世紀に地震によって水没した町。歴史的な記録は少々あいまいだが、東ローマ帝国時代には有名だったようだ。地中海の澄んだ海水のおかげで、遺跡をはっきりと見ることができるため、観光名所でもある。

 海中へと降りていく石造りの階段など、水没した建物は印象的。海上から観光することができるが、保護地区であるために潜って眺めるようなことは許可されていない。・5. アトリット・ヤム(イスラエル)


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References:imesofisrael

 イスラエルの海岸から1キロほどの地中海の底にあるこの都市には、完璧なまでに保存された人骨が眠っている。既知の水没都市としては最古の部類であるが、石の床や暖炉、さらには壁すら残された大きな家々が今も立ち並ぶ。

 9000年間、海底で眠っていたが、1984年の難破船の調査で発見された。きわめて古く、空気にさらすと腐敗が進む恐れがあるために、海底でも腐ってしまうような危険がないかぎり、遺物が発掘されることはない。

 その間、考古学者は海流の流れから、埋まっている遺物のマッピングを行なっている。

 ストーンヘンジにも似たストーンサークルから発見された人間の遺体を調査したところ、結核を患っていたことが判明。この病気がそれまで考えられていたより3000年も古いことが明らかになった。・4. 千島湖の獅城(中国)


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References:Qiandao Lake

 1959年のダム建設のために意図的に水没させられた都市。

 建設当時は30万人の人口を誇っていたが、全員移住するはめになった。獅城自体はおよそ600年の歴史があり、中国の昔の建築様式を今に伝えている。

 2001年の潜水調査では、獅子のほかに、不死鳥や竜といった石像や、16世紀頃の建物が綺麗に保存されていることが明らかになった。冷たい水のおかげで、家屋の木製の階段すら腐らずに保存されている。・3. ネアポリス(チュニジア)


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References:Roman "underwater ruins" discovered in Tunisia / sciencealert

 2017年、チュニジア沖で1700年前に津波にさらわれたと伝えられるネアポリスが発見された。

 この町は、ローマ時代の重要な工業地帯であったと考えらえている。魚醤の一種であるガルムの主要な産地でもあり、それを作るためのタルも見つかった。

 水没したのは365年に起きたマグニチュード8.0を超える大地震による津波が原因とされるが、これは古代都市アレクサンドリアを破壊した津波と同じものだ。・2. カンバート(インド)

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References:DWARKA FOUND IN GULF OF CAMBAY IN GUJRAT / Marine archeology in the Gulf of Khambhat

 2000年12月、インド西部カンバート湾の37メートルの海底に、縦8キロ、横3.2キロに広がる9000年前の都市が発見された。当時、研究者は汚染の調査を行なっていたのであり、古代都市の発見はまったくの偶然であった。

 当時の様子を忍ばせる壁や彫刻のほか、人間の遺体も見つかっている。ただし遺物の年代やそれが本当に人工物であるかどうかを巡って議論が行われている。

 仮に研究者の主張が正しかったとすれば、インダス文明よりも4000年も古いということになる。

 また前回の氷河期に海面が上昇した影響で水没したという見解もある。もしそうだとすれば、ほかに一体いくつの古代文明が海底に眠っているのか、私たちの想像をいたく刺激してくる。・1. オロウス(ギリシャ)


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References:Ancient city of Olous and windmills of Elounda Crete. / cretetip

 オウロスはクレタ島北部に広がる浅く透明な海に沈んでいる。紀元前1千年紀の間に重要な港町として栄え、自前の通貨すら流通していた。

 オウロスには「泉の町」という呼び名がある。言い伝えによると、海賊の略奪を恐れた住人が、周囲の山々に100の泉を掘り、その1つにだけ、町中の財宝を隠したのだという。残念ながら、今のところその泉は発見されていない。

 オウロスが水没した原因ははっきりしておらず、火山や自然の浸食作用などの説が提唱されている。

 観光で訪れる機会があれば、シュノーケルを持参するといいだろう。ただし、現在も発掘調査は進められており、そこにあるものを勝手に持ち去ってはいけない――幸か不幸か、宝の泉を見つけたとしても、だ。

/ written by hiroching / edited by parumo



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