長嶋茂雄、野村克也、張本勲「血と涙の恩讐60年」 (3/4ページ)

日刊大衆

給料なしでいいから、あと1年やらせてくれ”と頼んだそうです」(前出のベテラン記者)

 そこから、死ぬ気で野球に取り組んだという野村氏。

〈練習が終わってみんなが休んでいるときも私はひとり、バットを振った。(中略)砂を詰めた醤油の一升瓶をダンベル代わりに筋トレをし、パワーをつけようとした〉(前掲書=以下同)

■「幻の長嶋南海入団事件」の真相

 特訓の甲斐あって、3年目のシーズンはレギュラーに定着、快進撃が始まる。

「57年シーズンには打率・302、30本塁打、94打点をあげて南海の主軸になると同時に、パ・リーグを代表するスラッガーに成長します」(ベテラン記者)

 守備の要の捕手でありながら、大活躍を続ける野村氏の前に強敵が現れる。“ミスタープロ野球”こと長嶋氏だ。野村氏は、長嶋氏や王貞治氏、そして球界の盟主を自認する巨人にコンプレックスを抱き続けていたという。

〈なにしろ、長嶋や王がバッターボックスに入って来るだけで、マスク越しに私は思ったものだ。「かっこいいなあ……」〉

 1975年5月13日、ロッテ戦で2500本安打を記録した野村氏は記者陣を前に、こう呟いた。

「長嶋君はひまわりの花です。対して私は、日本海の浜辺に咲く月見草です……」

 有名な“月見草発言”だが、これは野村氏の本心だと球界関係者は証言する。

「いくらノムさんが三冠王を獲ってもホームランを打っても、話題になるのは巨人であり、ONでしたからね。悔しかったはずです。それはハリさんだって同じ。東映の試合は閑古鳥。パ・リーグ時代は、巨人やONに対して忸怩たる思いがあったはずです」

 当時は“人気のセ、実力のパ”と言われていたが、これは「巨人のいるセ・リーグに負けてたまるか」という、パ・リーグの選手の意地だったのだ。

「ですから、パ・リーグの選手は、セ・パが激突するオールスター戦に死に物狂いで臨んでいました。

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