小津安二郎作の映画で印象に残る2つの葬儀シーンと小津の墓碑銘 (2/3ページ)
そしてヴィム・ヴェンダース、アキ・カウリスマキ、ジム・ジャームッシュ、 アッパス・キアロスタミ、侯孝賢など世界の映画監督にも大きな影響を与えた(勿論、日本の幾多の監督たちにも)
■小津安二郎と原節子
原節子はともすれば演技より美貌が先行していたが、小津監督の紀子三部作とも言われる「晩春」「麦秋」「東京物語」などで健気でつつましい女性を演じ、名実とも大女優となった。小津は原を評して「芸の幅ということからすれば狭い、しかし原さんは原さんの役柄が(顔付や性格に)あってそこで深い演技を示すといった人なのだ。実際、お世辞ぬきにして日本の映画女優として最高だと思っている」と褒めちぎっている。1963年、小津監督死亡後、原節子は銀幕から消え、伝説となった。
■小津映画で印象に残る葬儀シーン
1つは「東京物語」で、母の葬儀後の料亭の席で、長女はちゃっかり母の形見として、夏帯をせしめて慌ただしく帰京するが、父は上京の際、1番親切にしてくれた血のつながらない戦死した次男の嫁に、妻が大事にしていた懐中時計を形見として受け取るよう頼み、次男のことは忘れて、再婚するよう促すのだった。この二人の会話がこの映画の最大の見どころと言える。
2つ目は「小早川家の秋」のラストの火葬場のシーンで、煙突から上る煙を見て、農婦が「若い人やったら可哀そうやなあ」と言うと夫は「けど、死んでも死んでも、後から後から、せんぐりせんぐり生まれてくるわ」と答える。これは人間の輪廻を表していて、印象に残る台詞である。
■小津安二郎の死と墓碑銘
小津の人生で戦争体験ほど悲惨なものはなかっただろう。同じ部隊の仲間が次々と戦死し、小津自身も何度か「ヤラれた」と思ったことがあり、生きて帰れるとは思っていなかった。
小津は戦争体験があまりに生々しかったのか、戦争映画は1本も撮っていない。小津は戦死しなかったが、1963年12月12日の満60歳の還暦を迎えた日に癌で亡くなった。