「いだてん」第11話振り返り。「日本人に短距離走は100年早い」三島の敗因は?

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「いだてん」第11話振り返り。「日本人に短距離走は100年早い」三島の敗因は?

「いだてん」第11話が放送されました。

これまでの「いだてん」振り返り記事はこちら。

前回の記事で紹介した通り、プラカードの表記で少々揉めた日本選手団。結果、史実どおり「日本」表記でいきたい金栗と「JAPAN」がいいという大森氏の間をとって「NIPPON」という表記に落ち着きましたね。

Wikipediaより

この公式記録の写真で金栗とプラカードが隠れているという構図の悪さ、もう一枚あった写真でも今度は逆に三島が見えないということについても触れられましたね。日本選手団、と言ってもたった二人ですが、開会式ではあまりに日本選手団の人数が少なかったために、会場では逆に注目を集め、同情的だったとか。

三島弥彦は軒並み予選敗退

マラソンに先んじてトラック競技が行われ、弥彦は100m、200m、400mに出場しています。

100mの記録は11秒8。これは今まで12秒台だった三島にとっては自己新記録でしたが、欧米の選手たちとは1秒以上も離されており、予選敗退。このストックホルムオリンピックの記録から公認の世界記録として残っていますが、このときの世界記録はアメリカ人選手であるドナルド・リッピンコットが予選でたたき出した10秒6でした。金メダルのラルフ・クレイグが10秒8。銀、銅も10秒9と、トップ選手はみな10秒台で走っています。

弥彦は200mでもトップからおよそ2~3秒は離されており、これも遠く及ばず。400mは2人棄権者が出たため準決勝までは進んだものの、それも2人中2着。準決勝は足の痛みを訴え棄権していますが、これは精神的理由のほうが大きかったのでは、といわれています。

「百年の孤独」、なぜ日本人に短距離は無理か

11話のタイトルは百年の孤独。三島はストックホルム大会をとおして「日本人には短距離は100年早い」という結論に至ります。それはなぜだったのか。

まず競う国々との対格差が大きすぎるという問題がありました。三島は当時の日本人にしては高身長(平均身長160cmもない時代に170cmを超えていた)で、日本ではその体格がスポーツで有利になっていたところがありますが、世界に出ると170cm台なんてそこらじゅうにいた。むしろもっと大きな選手も多かったのです。

三島がひるむのも当然。ストックホルム大会は28の国と地域が参加していましたが、そのうちアジアの国は唯一日本のみ。ほとんどが欧米の国々でした。

もうひとつは「孤独」です。オリンピックの後、三島は対格差よりも孤独であったことでモチベーションを維持することが難しかったと述べています。孤独、寂しさ。たった2人の選手団で、同じ陸上競技とはいえ短距離と長距離では練習法も違う。2人とも練習はひとりで行うほかなく、多くの選手を擁する国を横目で見ながら孤独に耐えて本番を待ったのです。

三島の経験は次にどう活かされるか

100年は無理だと言った三島。しかし日本はこの8年後のアントワープ大会にも出場しています。その大会では12人の陸上競技選手が出場。

100mに出場した加賀一郎は三島よりも速い11秒4を記録しますが、やはり欧米には及ばず予選落ち。この大会で日本はテニスで初のメダルを手にしますが、陸上競技では予選落ち、棄権が依然として多いのです。

ただ、「孤独」の寂しさは改善されたのではないでしょうか?そのあたりが今後のエピソードでどのように描かれるのか、楽しみですね。

これまでの「いだてん」振り返り記事はこちら。

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