これが武士の生き方!主君や家族、友人の為に命を懸けた日本三大仇討を紹介 (2/3ページ)

Japaaan

二代目山崎年信画:吉良邸討ち入り/Wikipediaより

この仇討の発端は赤穂藩主・浅野内匠頭が高家の吉良上野介に対する恨みから始まります。

内匠頭は吉良に対して恨みを持っていて、我慢しきれなかった内匠頭は江戸城松の廊下で吉良を斬りつけました。

この時の江戸城は最も格式の高い行事を行っていた最中でした。このような事態を起こした内匠頭に幕府は許すはずもなく、即日切腹を申し付けると同時に赤穂藩はお取り潰しとなってしまいます。

内匠頭だけ処分を受けることに対して赤穂藩の家臣は反発を起こし、大石を中心に吉良討伐に向けて動き出します。そして、元禄15年(1703)の冬、47人は吉良邸へ潜入し、見事吉良を討ち取ります。

吉良を討ち取った46人(1人は逃げたとされています)は幕府にこのことを報告し、これを受けた幕府は処罰方法に斬首を考えていました。

しかし、46人の武士の面子を通すため一番名誉ある死である切腹を命じ、46人は潔く切腹しました。

愛する弟の命を奪った仇のため、義兄弟起つ!

三つ目は渡辺数馬(わたなべかずま)と荒木又右衛門(あらきまたえもん)が行った鍵屋の辻の決闘(伊賀越の仇討)です。

渡辺数馬/玄忠寺ホームページより

この仇討の発端は数馬の弟・渡辺源太夫を巡る恋愛関係から始まります。源太夫は池田忠雄(岡山藩主)の小姓でしたが、恋をした河合又五郎が関係を迫ってきます。

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