小野小町も死んだらドクロ。彼女の遺体が腐乱していく姿を描いた衝撃的な「九相図」の意味とは?

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小野小町も死んだらドクロ。彼女の遺体が腐乱していく姿を描いた衝撃的な「九相図」の意味とは?

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
※小倉百人一首 九番 小野小町(出典:『古今集』春・113)

【意訳】絶世の美女だなんだとチヤホヤされて調子に乗っていたら、長雨(ながめ)に濡れた桜のように、いつしか色あせてしまいました(溜息)。

誰(たぶん日本人でしょう)が決めたか「世界三大美女」の一人に数えられ、美貌にまつわるエピソードの多さから、現代でも美しい女性を「~小町」などと呼ぶくらい、美女の代名詞となっている「小野小町(おのの こまち)」。

しかし、かつては才色兼備だった彼女も、自ら詠んだごとく年齢と共に容姿も衰えてしまい、その晩年はあまり幸せなものではなかったようです。

月岡芳年「卒塔婆の月」、年老いた小町の姿。明治十九1886年。

すっかり老いてしまった小町の様子が能の演目「卒塔婆小町」などにも表現され、作中で小町は大いにぼやくのですが、そんな悩みも生きていればこそ。

絶世の美女だろうが醜男だろうが、もちろんブスでもイケメンでも、死んでしまえばみんな「骨」

今回は、そんな「世の無常」を伝えるべく、小野小町の死体が腐乱していく様子を9段階に分けて描かれた「小野小町九相図(おののこまち きゅうそうず)」はじめ「九相図」を紹介したいと思います。

「九相図」、どんな目的で描くのかと言いますと、仏僧たちの煩悩(色欲)を絶つために「死んだら腐って骨になっちまうような女にうつつを抜かすなど、下らない!」というメッセージが込められています。

それで、わざわざこのような絵を残したわけですが、その目的ゆえに美女が描かれることが多く、小野小町の他にも有名どころでは嵯峨天皇の皇后陛下である橘嘉智子(たちばなの かちこ。檀林皇后)の九相図も伝わっています。

さて、前置きはこれくらいにして、さっそく「九相図」の各段階を紹介していきたいと思います。

死体が腐っていく9段階

河鍋暁斎「髑髏と蜥蜴」、明治二1869年ごろ。

「九相図」は美女が亡くなってから荼毘に付される(火葬される)までの9段階を基本とし、ものによってはビフォア(生前の姿)を加えて十相とすることもありますが、その大まかな流れは以下の通りです。

一、脹相(ちょうそう)

肉体の腐敗によって体内からガスが発生、死体が膨れ上がった様子が描かれています。
ここまでなら、まだ生前の名残が確認できます。

一、 壊相(えそう)

死体の腐敗が進み、皮膚が壊死(えし)してボロボロになっていく様子が描かれています。
この辺りから、いかにもグログロしくなってきます。

一、血塗相(けちずそう)

腐ってボロボロになった皮膚(あちこち)の破れ目から、溶けてしまった脂肪だの血液が流れ出します。
自然の摂理とは言え、なかなか正視しがたい光景です。

一、膿爛相(のうらんそう)

今度は死体の肉そのものが腐って(膿み、ただれて)溶けだします。
もうグジュグジュで、だんだんヒトの原形を留めなくなってきます。

一、 青瘀相(しょうおそう)

すっかり血の気もなくなった死体が、全体的に青黒くなっていきます。
いかにもゾンビ然として、この世のものとも思えない惨状です。

一、噉相(たんそう)

死体に虫がわき、鳥や獣に食い荒らされる様子を描いています。
カラスや野犬はともかく、これでもかとばかりにびっしりと描き込まれたウジ虫の大群は、なかなかのトラウマものです。

一、散相(さんそう)

虫や鳥獣によって、手も足もバラバラに食い散らかされた様子が描かれています。
できればこうなる前に、供養してあげて欲しいものです。

一、 骨相(こっそう)

完全に腐りきって骨だけになった状態が描かれています。
今までがグロかったせいか、ここまで来てしまうと、なぜかホッとしてしまいます。

一、 焼相(しょうそう)

人に発見された骨が荼毘に付されて灰になる、又は埋葬された様子が描かれています。

ススキと髑髏

菊池容斎『前賢故実』より、在原業平。

さて、小野小町の最期については諸説ありますが、京都にこんな民話があります。

昔むかし、和歌の名手として名高い在原業平(ありわらの なりひら)が東北を旅した時、ススキの原から歌が聞こえました。

秋風の 吹きちるごとに あなめ あなめ……♪
(秋風が吹くたびに、目が痛い、目が痛い……)

いったい何事か、と業平が周囲を調べてみると、足元に髑髏(ドクロ)が転がっており、その目の窪みからススキが生えていました。

そのススキが秋風でゆれるたび、目をグリグリされて痛い、痛い……と、髑髏が泣いているようです。

すると、通りがかった村人が言いました。

そりゃあ小野小町じゃよ。昔は京の都でたいそう持て囃されたそうじゃが、歳をとったら落ちぶれて、故郷に出戻ったッきり、野垂れ死んでそのざまじゃ」

そこまで分かってンなら供養しておやりよ……と思わなくもありませんが、もしかしたら、故郷に帰って来ても過去の栄光が忘れられず、傲慢な振舞いでご近所さんと上手く行かなかったのかも知れません。

ともあれ、かつて絶世の美女と称えられた小野小町と思うと、髑髏の和歌に下の句を返さずにはいられません。

小野とはいはじ すすき生ひけり……♪
(これがあの小野小町か、などと笑ったりはしませんよ。あなたの最期は、生い茂るススキが隠してくれるでしょう)

そう業平が詠むなり、髑髏の歌はピタリと止んだそうです。

慰められた小野小町の霊が、成仏できたのかも知れません。

終わりに・同じ髑髏となるけれど

狩野探幽「三十六歌仙額」より、小野小町。慶安元1648年。

これまで、九相図や小野小町の最期について紹介してきました。

どんな美女とて、死んだら髑髏

確かにその通りではあるのですが、せっかく何かのご縁で生まれて、運よく今ここに生きているのですから、それはそれで楽しまなければ命がもったいない、と考えるのが我ら凡俗の人情。

Carpe diem(カルペ ディエム)」

ラテン語で「その日の花を摘め」を意味する諺ですが、小野小町が後悔を詠んだように、美しく咲き誇る「今」という花を愛で、その香りをかいでこそ、命は輝くもの。

そして、この言葉は「memento mori(メメント モリ。死を忘れるな)」と対になります。

お前も死ぬぞ」 釈尊

誰もが逃れがたく死を迎え、必ず髑髏となるけれど、生きている今は、あなただけのもの。

どうか、よい人生を。

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