時代劇でお馴染み”ちょんまげ”。なぜこのような変わった髪形文化が日本に定着してたのでしょうか? (2/2ページ)
日本人がちょんまげを結った現実的な理由
日本人がちょんまげを結ったのには現実的な理由がありました。
ちょんまげは、かつては武士階級が行う結い方でした。武士は戦のときに兜をかぶって戦いましたが、湿度の高い日本では、戦闘中、兜をかぶっている頭が蒸れてしまいます。その蒸れを防ぐ結い方として考えかれたのが、ちょんまげでした。
東洲斎写楽 画
やがて、江戸時代になり、太平の世が訪れると、武士だけでなく庶民もこぞって月代を作った髷を結い始めるようになりました。ただ、髷の結い方も身分によって違いがありました。
浪人などは月代を作りませんでしたが、これは単にお金がなかったためであるとか、主君を持たないため兜を被る機会がなかった(=戦に出る機会がなかった)からであるともいわれています。
髷の結い方にも幾つものパターンがありましたが、代表的な結い方を2つご紹介いたします。
銀杏髷(いちょうまげ)江戸時代にいちばんポピュラーだったのは、結い方です。髷を折り返した先を銀杏の葉状に広げているためこのように呼ばれました。
身分によって多少の違いがあり、武士は髷を長く月代を狭くしました。町人は小銀杏と呼ばれるスタイルで、商人は銀杏をより小さめにし、職人は太く短めにして男性らしさを強調しました。
本多髷(ほんだまげ)月代を非常に広くし、髷をネズミの尻尾のように細くしたものです。
柔和な印象を与えた髪型で、吉原の遊郭に出入りするならこの髷でないと相手にされないと言われたほど、「粋」の象徴でした。
1871年になると、明治政府による散髪令の布告と、2年後の明治天皇の断髪によって、「ちょんまげ」はほとんど見られなくなりました。
ただ、現在でも髷を結うスタイルは大相撲などに連綿と残っています。
世界的にも珍しい髪形文化、「ちょんまげ」。 その誕生にはこのような、実用的な理由があったのですね。
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