江戸時代の蘭学者・高野長英の逃亡を助けた越後の和算家・小林百哺(1) (2/2ページ)

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その名声は天下に知れ渡り、百哺の名声を聞き、遠く信州上州から修学するものもあり、慶応元(1865)年の門人帳には5000人の名前が記されています。

福永七兵衛の元に身を寄せる長英

長英と百哺は学問によって親しい間柄でした。ところが、百哺のところは塾を開いていたため、人の出入りが多いうえに、長英は供の清吉まで連れてきたので隠す場所がありませんでした。仕方がなく当時大肝煎を務めていた福永七兵衛を頼みました。

七兵衛は本来、長英を召し取らなければならない立場の人物でしたが、学識の豊かな彼は長英に深く同情し、匿うことを了承しました。七兵衛は、廻船問屋で酒造業を兼ね、屋敷も数千坪もあり、長英らを隠匿するには最適でした。

こうして福永家では、長英が大好きだった酒も出し、お客のように歓待し、十二月半ばごろ、夜陰に乗じて小廻船で、路銀と食料を与えて二人を新潟付近まで送迎したのです。

参考文献:図解 にいがた歴史散歩 上越

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