アントニオ猪木はライオンを買って…藤波辰爾×藤原喜明「怪物プロレスラー」豪快秘話

日刊大衆

アントニオ猪木はライオンを買って…藤波辰爾×藤原喜明「怪物プロレスラー」豪快秘話

 規格外の体躯でマット上を席巻した外国人レスラーたち。彼らの往時を知る2人が仰天エピソードを公開!!

――お二人は旗揚げ1年目から新日本プロレスに在籍されていますけど、歴代の外国人レスラーで、どなたが印象に残ってますか?

藤波 やっぱりアンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガンとかね。

藤原 アンドレはあんなにデカいのに運動神経が良くてね。“走る”のも速いし。

藤波 いや、あれは歩いてたんじゃない? 星野勘太郎さんが走っても、アンドレが歩くのと変わらなかったんだよ(笑)。

――歩幅が、あまりにも違いすぎて(笑)。

藤原 あったな~。俺も見ていて笑っちゃったけど(笑)。そういうのは強烈に覚えてるよな。

藤波 みんな、個性が強かったからね。

藤原 昔のプロレスラーはみんな、怪物だったんだよ。だいたい、パンフレットに「正体不明」とか書かれてたけど、覆面して正体不明で、どうやって入国するんだよ! パスポートは、どうなってるんだよ!(笑)

藤波 入国審査を通るわけだからね(笑)。

藤原 でも、いい時代だったよね。夢というか幻想みたいなのがあったんだよな。

■力道山は新幹線の出発を遅らせた

藤波 なぜか、プロレスラーというだけで融通が利いたんだよね。だって、電車とか飛行機が出発を待ってくれたんだよ。「猪木さんが向かってるので、ちょっと待ってください」って。

藤原 力道山先生は新幹線の出発を遅らせたらしいね。車内放送で「今、力道山選手をお待ちしてます。しばらくお待ちください」って。みんな、怒るよ(笑)。

藤波 でも当時は、それに納得してたからね(笑)。

藤原 すごかったのはさ、新日本のブラジル遠征のとき、アンドレが飛行機の中で缶ビールを120本ぐらい飲んじゃってね(笑)。

藤波 そうそう。アンドレの後ろの席が空き缶の山でね。俺らが注文したら、「もうない。アイツが全部飲んだ」って(笑)。

藤原 スチュワーデスが「大きな人たちばかりですけど、どんなお仕事をされてるんですか?」って聞いたら、アンドレが「競馬のジョッキーだよ」って。

――大巨人ジョーク(笑)。

藤波 アンドレは試合も、うまかったね。

藤原 頭が良かったから。

藤波 レスラーは勘と発想が良くないとできない。お客さんが何を望んでいるか瞬時に察知して、動きで興奮させるわけだからね。

――ハルク・ホーガンは、いかがでしたか?

藤原 いい奴だよね。ハートが、すごくいい。

藤波 スターになってからも、偉そうにすることはなかったしね。俺は、彼がプロレスラーになる前から知ってるから。ホーガンはもともとミュージシャンで、俺がフロリダに行ったとき、アパートの下でギターを弾いてたもん。身体だけは当時からデカかったんだけど。それが、ちょっと見ない間にニューヨークに行ったら、リングで試合してるからさ。「なんだ、アイツだったのか!」って(笑)。

――新日本でも、あれよあれよという間に大スターになりましたよね。

■ブルーザー・ブロディは神経質

藤原 無名だったのが、新日本で磨かれてな。スタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シンなんかも、そうだよね。

――藤波さんはブルーザー・ブロディとも試合してますよね?

藤波 彼は神経質なんだよね。あれだけ身体がデカイのに、ハンセンやベイダーみたいな迫力はあまりなくて、細かい技をやるからかな。あとはプライドが高すぎて、パートナーのジミー・スヌーカも大変だったと思うよ。

――ジュニアヘビー級時代に対戦したダイナマイト・キッドは、どうでした?

藤波 キッドは俺が最初にやったんだよ。カナダのカルガリーでね。そのとき、すごくいい選手だってことで、新日本のレギュラーになって。それでタイガーマスクがデビューするとき、体格的にも最適だってことで選ばれたんだから。タイガーマスクの成功は、彼の存在あってこそだよね。

藤原 俺もキッドとは1回だけ、やったよ。すごかったな。身体はちっちゃいのに、キレがいいっていうか。ピシッとした感じで。いい選手だったなあ。

■熊と戦って「カメラを止めるな!」

――藤原さんは「人間対熊、異種格闘技戦」と銘打ったテレビ番組の企画で、熊と闘ったこともありましたよね(笑)。

藤原 大変だよ、お前。合法的に殺されるかと思ったよ。熊は怖いよ~。

――サーカスの熊って話だったのに、全然違ったんですよね(笑)。

藤原 一応手なずけてあるって言うんだけど、冬眠する期間は野生に返るんだよ。で、俺がやったのが12月30日だから。

――野生の真っ只中(笑)。

藤原 スタッフに「大丈夫だろうな?」って聞いたら、「大丈夫です。保険に入ってますから」って。それ、危ないと思ってるんじゃねえか(笑)!

――死んでも保険はおります、と(笑)。

藤原 監督が「何があってもカメラを 止めるな!」って言ってるんだから。

――ダハハハ! 映画『カメラを止めるな!』がヒットする20年前に、同じことを言われてましたか(笑)。

藤原 テリー伊藤の野郎が、とんでもねえ番組作ったせいだよ。

藤波 熊に、ベアハッグはやられなかった(笑)?

藤原 熊はベアハッグなんか、やんねえよ! 熊は一発バーンと殴っただけで、体重1トンのバッファローの首が折れるんだよ。

藤波 馬の首も吹っ飛ぶらしいからね。

藤原 現場で「危ないからやめた」って言えば、やめられたかもしれないけど、そしたら一生、「アイツは逃げた」って言われるなと思ってさ。「逃げた」って言われるよりは死んだほうがマシだと思って、やったんだよ。いい根性してるよ、俺も。でも、バカだよな(笑)。どんなレスラーよりもクマのほうが強いよ!

■アフリカに連れて行かれておいてけぼり

藤波 昭和のレスラーは、いろんな経験してるよね。

――藤波さんも未開の地みたいなところに、番組で行ってますよね?

藤波 俺、17歳のときに猪木さんにアフリカに連れて行かれて、おいてけぼりを食らったからね。

藤原 あれは傑作(笑)。

藤波 初めての海外がアフリカだよ? 猪木さんのロケだったんだけど、帰る何日か前に日本から緊急の連絡があって、猪木さんが「先に帰るから、お前はあとで帰ってこい」って置いてけぼりを食らったんだよ。一応、現地人のポーターは1人いたんだけど、あとは、みんなマサイ族ばっかりでさ、夜も寝られなかったよ(笑)。

藤原 どうやって帰ってきたの?

藤波 必死だったから覚えてない。命がけだから帰ってこれたんだろうね。それで、日本に着いたら猪木さんが笑ってるの(笑)。猪木さんの壮大なイタズラかもしれない(笑)。

藤原 でも、いい勉強になったでしょ?

藤波 そうだね。あれ以降、世界中、どこに行っても怖くなくなったから。

藤原 猪木さんは昔、海外に行くと変なモノばっかり買ってたよね。ライオンの剥製とか。

藤波 生きたライオンも買ってたでしょ?

――そんなもの買えるんですか(笑)!

藤波 あと、猪木さんがガラガラヘビを買って、新日本の事務所に届いたんだから。小包の中にガラガラヘビが2匹入ってて、ガラガラ、ガラガラ鳴ってるんだよ(笑)。

藤原 どうやって税関通ったんだよ(笑)。

藤波 やっぱり昔のプロレスには、面白い話がたくさんあるね。

(ふじわら・よしあき)1949年、岩手県生まれ。72年に新日本プロレスに入門。新人時代からカール・ゴッチに師事し、のちに“関節技の鬼”と呼ばれる。84年に第一次UWFに移籍、第二次UWFを経て、91年には藤原組を旗揚げ。07年に胃がんの手術をするも生還し、今も現役で活躍中。

(ふじなみ・たつみ)1953年、大分県生まれ。71年に日本プロレスでデビュー後、師匠・猪木を追って新日本に旗揚げから参戦。ジュニアヘビー級の第一人者としても知られ、ヘビー級転向後は長州力との名勝負数え唄で人気を博す。15年3月、猪木に次ぎ、日本人2人目のWWE殿堂入りを果たした。

〈取材・文/堀江ガンツ、インタビュー撮影/橋詰大地〉

※本対談は『逆説のプロレス』vol.13(2018年12月発行)に掲載されたものを加筆、再録したものです。

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