「個人主義や個の尊重」の台頭と「家制度や家系」の崩壊による弊害 (2/3ページ)
両親、祖父母、先祖の名前が連ねてある過去帳には自分もいずれ連ねる、つまり自分も「縁」の連関のひとつとなり、次の世代へとつないでいくことになる。その奥には縁をつないでくれた阿弥陀如来の絵が鎮座しており、仏壇に手を合わせるのは、自分が存在する根拠としての縁に対する感謝の表現である。
■イエス・キリストの系図
新約聖書のマタイ福音書は「イエス・キリストの系図」から始まる。マタイ福音書は新約聖書の最初に掲載されているので、「イエス・キリストの系図」は新約聖書の冒頭、導入部ということになる。旧約聖書でいえば「創世記」に相当する。系図が天地創造に匹敵するのは、ある意味当然である。自分が創造されたのは天地が創造されたのと同じことだ。世界とは「私」の世界に他ならない。
系図にはキリストにつながる名前が列記してある。ほとんどの名前は日本人には馴染みのない名前ばかりだ。しかしその名前にはその名前の人生がある。筆者は以前も述べたことがあるが、名前とはただの記号ではない。その人そのものであると言える。イエス・キリストという存在を語るとき、イエスがいかなる存在の連関の上にいるのかを最初に語るのは重要だ。新約聖書を初めて読む人は系図にうんざりして読みとばす人がほとんどだろう。創世記の「光あれ」で始まる一大スペクタクルとは比較にならない地味なイントロである。しかし、新約聖書において、救世主イエスの誕生は天地創造に匹敵する人類の重大事であった。人類を救う救世主の、至上の愛を説く精神的なスペクタクルの導入として、キリストと我々が出会えた縁起、過去帳たる系図がイントロとなるのは当然だったのだ。
■皇室・元号
家系について語るとき日本人として皇室を無視するわけにはいかない。神話の時代から2600年、有史に限っても1800年を誇る世界最古の家系である。戦前の学校の授業では、初代神武天皇から昭和天皇までの124代に渡る歴代天皇の名を暗記させられた。これ自体はイエスの系図と同じ名前の羅列に過ぎない。しかしその名前のひとつひとつには、日本の歴史が込められている。