田中角栄「名勝負物語」第六番 竹下 登(3) (2/3ページ)
例えば、こんな話が残っている。
竹下は自分からポストを欲しがることはなく、いまの政務官にあたる政務次官になったのも、佐藤派内の同期の中で一番最後だった。また、いざポストに就いても「副」や「代理」といった肩書が付くことが多く、なかなか「正」のポストには座れなかったのである。
その好例が、国対副委員長のポストで、じつに6期5年にわたって「副」の肩書が取れなかったものだ。国対の仕事は、議会運営をスムーズに運ぶための“下支えポスト”で、国対委員長ならともかく副委員長とは名ばかりの、ひたすら身を粉にして野党との折衝に汗をかく地味なポストである。ために、多くの議員は一刻も早く、このポストからの“脱出”を願うのだが、竹下は黙々と汗をかき続けた。時に、こんなカゲ口も聞こえたのだった。
「あんなに長い間、国対副委員長をやったヤツを見たことがない。なにか、特別の事情を抱えているのではないか」
★「気配り竹下」の本領
しかし、もとより竹下に特別の事情や欠陥があるわけではない。この6期5年にわたる「おしん」ぶりに、むしろジワジワと竹下への評価が高まっていったのだった。のちに、竹下はこのポストについて、筆者にこう述懐している。
「“下積み生活”と言われたが、僕はそれほど苦痛には思わなかったな。与えられた仕事に全力を尽くしていれば、これは人脈につながっていく。相手に礼を尽くせば、必ず人は動いてくれることを知った。人生はむしろ、回り道、無駄な時間から学ぶことが大きいということだ」
竹下を評して、「目配り、気配り、カネ配りの竹下さん」という声があった。また、我慢の人「おしん」ではあるが、持ち前の明るい性格から「陽気な策士」との異名もあった。
「気配り」については、田中角栄と双璧であったことは前号で記したが、さしもの田中も“真っ青”だったこんなエピソードがある。筆者のインタビューに、竹下の直子夫人が、こう答えてくれた話である。
「夫の辛抱強さ、気配りの凄さを見ると、それこそ政治家になるために生まれてきたような人と思わざるを得ません。家の中でも、愚痴は絶対にこぼさないし、私に対する気遣いも同じです。