プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ボボ・ブラジル」幻のNWA王者だった“黒い魔神”秘話 (2/3ページ)

週刊実話



 「プロレスに限ったことではなく、例えば、アメリカにおいて黒人スイマーが少ないのは、もともと白人が黒人と同じプールに浸かるのを嫌がって、これを除外してきた歴史と無縁ではありません。プロ野球でも’48年まで、黒人は“ニグロリーグ”として別枠の扱いだったのです」(同)

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 こうした状況に変化が訪れるのは、50年代半ばに公民権運動が盛んになってからであり、プロレスの世界において黒人初の世界王者といわれるベアキャット・ライトが、WWA世界王座に就いたのは’63年8月23日である。キング牧師が人種差別撤廃を求めるワシントン大行進において、かの有名な「アイ・ハブ・ア・ドリーム!」の演説を行う5日前のことだった。

 そのライトとタッグを組むなど、同時期に活躍した黒人レスラーがボボ・ブラジルで、同じくWWA世界王座を獲得して黒人2人目の世界王者となっている。

 強靭な筋肉に覆われた巨躯と、ジャンピング頭突き“ココバット”を武器とした明解なパワーファイトで人気を博したブラジルは、実は幻のNWA世界王者でもあった。

 ’62年、オハイオ州での選手権試合において、ブラジルは王者バディ・ロジャースをココバットの連打からリング下へ投げ落とし、カウントアウト勝ち。州のルールでリングアウトでもタイトル移動となっていたため、いったんはベルトを手にしている。

 しかし、その後にロジャース側から、「オーバー・ザ・トップロープの反則があった」とコミッショナーへの訴えがあり、これが認められたため、王座を剥奪されてしまったのだ。

 この幻の王座移動については、「ブラジルの人気にあやかった一種のレンタル王座だった」とする説がある一方で、「他地区のプロモーターたちが黒人王者を認めなかったため」との声もある。

 今となっては事の真相を知る由もないが、日本からはうかがい知れないほどに、アメリカにおける人種差別が複雑であったことに違いはあるまい。

 一方で黒人への差別意識が薄く、純粋に強さの象徴として畏怖する傾向にあった日本においても、ブラジルの活躍は目覚ましい。
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