特集・日本の歴史は忍者とともにあった!?

日刊大衆

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 情報収集、要人暗殺、破壊工作……。あらゆる特殊任務をこなした忍びの者たち。最新の調査で判明した虚構と現実が交錯する“忍者の真実”を一挙公開!!

■壬申の乱でも暗躍!? 忍者発祥の謎を探る

 忍者を意味する「間諜」という言葉が初めて歴史に登場するのは、奈良時代に編纂された『日本書記』だ。この中に「新羅の間諜(うかみ)である迦摩多なる人物が対馬に上陸したので捕まえて上野国(現・群馬県)に流罪とした」という一文に、初めて「間諜」=「忍者」という言葉が現れる(それ以前、聖徳太子の時代に忍者がいたとする説もある)。当時日本は百済の任那に日本府を置いていた関係で、隣国の新羅とは緊張関係にあったため、諜報活動が活発だったのだろう。

 一方、三大忍術書のひとつ『萬川集海』には“多胡弥”と呼ばれる人物が忍びの祖だと記されている。日本の古代史上、最大の乱とされる「壬申の乱」(672年)では、勝利した大海人皇子の下で情報収集をはじめ、焼き討ちや夜討ちなどのゲリラ戦術を用いて大友皇子を倒したとされる。

 また、忍術は大陸(中国)から伝来したとする説もある。なかでも、秦の始皇帝の命を受けて来日した徐福を忍者の祖とする説は根強い。中国では兵法家・孫武の時代より間諜を重んじていたため、日本の忍者のベースとなる諜報技術が早くから完成されていたのかもしれない。

■天下乱れて需要急増 戦国乱世の跳梁跋扈

 次第に間諜技術を進化させていった忍者は、源平争乱でも大活躍する。この時代の忍者マスターといえば、“義経流忍術”の祖とも言われる源義経だ。

 義経は鞍馬山で天狗から剣術指南を受けた伝説を残すが、天狗とは修験者(山伏)のこと。義経は修験者から鞍馬八流の跳躍術を身に着けたという。さらに『義経記』によれば、義経は鬼一法源という陰陽師の下で学び、兵法の奥義を会得し、義経流の奇抜な戦略や鞍馬流とも言われる刀剣術を身に着けたとされる。これらが後の義経の超人的な活躍の基礎となったのである。

 大楠公として知られる南北朝時代の英雄・楠木正成もまた、忍者マスターのひとりとされる。正成が用いたゲリラ戦術は、戦場働きを得意とする“ 戦忍(いくさしの)び”の源流となる。いずれにせよ、世が麻の如く乱れると忍者の需要が高まっていく、という公式がありそうだ。

 その意味で、史上もっとも忍者が活躍した時代が戦国時代である。天下を狙う各地の戦国大名、豪族、神社仏閣、商人衆といった諸勢力が入り乱れたこの時代、有力者は諜報や特殊任務のプロである忍者たちを競って雇い入れた。武力を持たない朝廷も、「御所忍び」と呼ばれる忍者を用いていたとされる。

 そうした忍者の一大供給地となったのが、伊賀と甲賀だ。両地は“忍者の人材派遣業”に精を出したが、長期契約をモットーとする伊賀に対し、甲賀は“ひと仕事いくら”で請け負う短期派遣を売りにした。

■忍者を生んだ日本は世界最弱の情報貧国

 伊賀・甲賀の忍者が全国に忍びの技術を広め、土地土地の間諜の伝統と化学反応を起こし、各地で個性豊かな忍者集団が乱立したのも戦国時代の特徴だ。

 有力大名は独自に強力な忍者衆を組織し、武田の「透破(すっぱ)」、織田の「饗談(きょうだん)」、上杉の「軒猿(のきざる)」、伊達の「黒脛巾組(くろはばきぐみ)」、毛利の「世鬼(せき)一族」、北条の「風魔(ふうま)」などが誕生した。

 なかでも“甲斐の虎”武田信玄は、忍者を重視していたとされる。「人は城、人は石垣…」で知られる信玄は、強固なインフラよりも、情報や人間感情の機微を重んじた武将であるため、忍者を重視したのは当然だろう。

 信玄は透破と呼ばれた忍者集団に加え、「歩き巫女」に扮した「くの一(女忍者)」を全国に派遣し、情報収集を命じたとされる。また、「金山衆」と呼ばれる鉱山技師たちも、情報収集や城攻めの特殊工作に用いたと伝わっている。

 江戸時代になると忍者の需要は激減するが、柳生や伊賀・甲賀が“公儀忍び”として生き残り、明治初期まで活動した。

 すでに絶えたかに見える忍者の伝統だが、その名を「NINJA」に変え、いまだ息づいている。いまなお暗躍を続けるスパイは忍者の末裔であり、ゲリラ戦闘を得意とする特殊部隊は“現代の戦忍び”だからだ。

 世界に冠たる諜報集団、忍者を生んだ日本。しかし、その日本は現在、先進国の中で唯一対外情報機関を持っていない“情報貧国”に成り下がってしまっている。

「太平洋戦争期には、陸軍中野学校と呼ばれるスパイ養成機関が設置され、連合国相手に熾烈な諜報戦を戦い抜いた日本ですが、戦後は、GHQの方針で対外情報機関の設置は認められませんでした。現在、大規模な戦争のリスクは減じていますが、逆に局地的なテロの脅威は高まっています。さらに、国家間の取り決めを優位に進めるためには、相手方の情報を集めて分析しておくことが不可欠です。産業スパイへの備えも必要でしょう」(防衛省関係者)

 孫子の兵法では「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」と説く。いつの時代も情報強者が、勝利を手にすることは自明である。忍者を生んだ日本は、いまこそ、“21世紀型の忍者集団”を考えるべきかもしれない。

※『EX大衆』2018年9月号より

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