“令和”特別企画「天皇125代」その謎と真実(2)崇峻天皇暗殺の裏にあったリアル (2/2ページ)

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常識的に考えて、そんな非常時にワンポイントリリーフの中継ぎリーダーに国を任せるはずがない。そう考えると、推古天皇という女性は優れた能力を持ったカリスマ的なリーダーだったと思われます」

 推古天皇は即位後、用明天皇の子である厩戸(うまやと)皇子(のちの聖徳太子)を皇太子に立て、摂政に起用した。

「権力バランスを保つため崇峻天皇暗殺を指示した蘇我馬子を共に政治にあたらせているんです。配下に皇族を代表する聖徳太子と豪族を代表する蘇我馬子という強力な布陣を敷くことで、冠位十二階を定め憲法十七条を制定。さらに遣隋使を派遣するなど外交にも力を入れつつ、国内を安定させていったのです」

高森明勅(たかもりあきのり)氏プロフィール:昭和32年、岡山県生まれ。國學院大學文学部卒。神道学・日本古代史専攻。日本文化総合研究所代表。著書に『この国の生い立ち』(PHP研究所)、『天皇から読みとく日本』(扶桑社)、『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)、『私たちが知らなかった天皇と皇室』(SBビジュアル新書)ほか多数。

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