ピンク・レディーの稼いだ数百億円を「溶かした」大物総会屋

週刊実話

 テレビ業界や芸能界で、タレントの忙しさ、売れっ子ぶりを例えるとき、今も使われるのが「ピンク・レディー並みの忙しさ」というフレーズだ。

 76年に『ペッパー警部』でデビューしたピンク・レディー。中学、高校時代の同級生だったミー(現・未唯mie、本名・根本美鶴代)とケイ(現・増田恵子、本名・桑木啓子)の2人は、『スター誕生!』をきっかけに、一気にスターダムへと駆け上がっていった。あまりの人気ぶりから、連日2〜3時間の睡眠時間で働き通しだったことは有名で、その尋常ならざる過密スケジュールに、“ピンク・レディーはシャブを打たれているから眠くならない”という噂まで飛び出したほどだった。

 81年に雨の後楽園球場で解散コンサートを開くまでの約5年間を、ピンク・レディーはまさに文字どおり駆け抜けていったわけだ。その間に稼ぎ出した金は、200億円とも500億円ともいわれている。現在の価値に換算すると1000億円を超えることは間違いない。しかし、それだけ稼ぎながら、2人にはわずかな報酬しか与えられていなかったという。

 最初の一年は、ずっと月給30万円。その薄給ぶりが報じられるようになり、事務所はようやく300万円に月給をアップさせたというが、それでも2人が稼ぎ出す金額から考えると、100分の1程度。引退後に残されたのは3000万円ほどのマンションだけで、ピンク・レディーはあれだけの大ブームを巻き起こしながら、まったくといっていいほど金の恩恵を受けていなかったのだ。

 そればかりか、ピンク・レディーの所属事務所であった「T&Cミュージック」は、解散コンサートから半年後、わずか1200万円の手形を落とせず、不渡りを出して倒産しているのである。

 ピンク・レディーが稼いだ金はどこへ消えたのか──。

●裏社会に流れて行った巨額のカネ

 「T&Cは貫泰夫氏が会長を務めていましたが、実はとある広域暴力団をバックにした大物総会屋のOという人物が全額出資した、Oの完全子会社でした。中学時代の同級生だった関係から、元証券マンの貫氏は、Oの株を一手に引き受け運用を任されていたんです。そんな縁から、貫氏がピンク・レディーを売り出すために芸能プロを立ち上げた際に、Oが資金の面倒を見るようになったという経緯がある。結局、このOを通じて、ピンク・レディーが稼いだ金は、そのほとんどが裏社会へと流出していったといわれているんですよ」(当時を知る音楽関係者)

 その手口の多くは地方興行を利用したものだったという。

 当時、ピンク・レディーの興行には1000万円近くの値がついていたというが、これをOの息のかかった代理店を通じて、T&Cに発注がいくようにしていたという。その取り分は、代理店が7割、T&Cが3割程度。テレビ出演も同様で、本来、ギャラ100万円のはずが、T&Cの取り分はわずか5万円程度だったという話もある。

 これでは、T&Cに金が残るはずはない。もちろん、20歳そこそこのミーとケイの2人に、こうした裏社会の海千山千に対抗する手立ても、知恵もあるはずはなかったのだ。

 2人が本当に大金を得たのは、02年。パチンコ「CRピンク・レディー」が10万台の大ヒットとなり、それぞれ1億円ほどのロイヤリティを手にしたという。その後、再結成して復活コンサートで全国を回ると、かつてのファンの中高年でどこも盛況となった。

 苦い思いもたくさんしただろうが、2人はピンク・レディーという大きな財産に感謝したことだろう。81年の解散から、20年以上が経っていた。

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