ピンク・レディーの稼いだ数百億円を「溶かした」大物総会屋 (1/2ページ)

週刊実話

 テレビ業界や芸能界で、タレントの忙しさ、売れっ子ぶりを例えるとき、今も使われるのが「ピンク・レディー並みの忙しさ」というフレーズだ。

 76年に『ペッパー警部』でデビューしたピンク・レディー。中学、高校時代の同級生だったミー(現・未唯mie、本名・根本美鶴代)とケイ(現・増田恵子、本名・桑木啓子)の2人は、『スター誕生!』をきっかけに、一気にスターダムへと駆け上がっていった。あまりの人気ぶりから、連日2〜3時間の睡眠時間で働き通しだったことは有名で、その尋常ならざる過密スケジュールに、“ピンク・レディーはシャブを打たれているから眠くならない”という噂まで飛び出したほどだった。

 81年に雨の後楽園球場で解散コンサートを開くまでの約5年間を、ピンク・レディーはまさに文字どおり駆け抜けていったわけだ。その間に稼ぎ出した金は、200億円とも500億円ともいわれている。現在の価値に換算すると1000億円を超えることは間違いない。しかし、それだけ稼ぎながら、2人にはわずかな報酬しか与えられていなかったという。

 最初の一年は、ずっと月給30万円。その薄給ぶりが報じられるようになり、事務所はようやく300万円に月給をアップさせたというが、それでも2人が稼ぎ出す金額から考えると、100分の1程度。引退後に残されたのは3000万円ほどのマンションだけで、ピンク・レディーはあれだけの大ブームを巻き起こしながら、まったくといっていいほど金の恩恵を受けていなかったのだ。

 そればかりか、ピンク・レディーの所属事務所であった「T&Cミュージック」は、解散コンサートから半年後、わずか1200万円の手形を落とせず、不渡りを出して倒産しているのである。

 ピンク・レディーが稼いだ金はどこへ消えたのか──。

●裏社会に流れて行った巨額のカネ

 「T&Cは貫泰夫氏が会長を務めていましたが、実はとある広域暴力団をバックにした大物総会屋のOという人物が全額出資した、Oの完全子会社でした。中学時代の同級生だった関係から、元証券マンの貫氏は、Oの株を一手に引き受け運用を任されていたんです。

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