大人気コミック『ファイブ』シリーズ作者・ふるかわしおり先生「画業20周年記念独占インタビュー」後編
2004年からスタートし、コミック発行部数が累計370万部を突破する大人気コミック『ファイブ』シリーズ。
最強イケメン集団と天然メガネ女子が繰り広げる、普通じゃない学園の破天荒すぎるラブコメディである今作は、熱狂的なファンを生みだし、ドラマ化もされるなど、絶大な人気を誇っている。
そんな作品の生みの親で、画業20周年を迎える作者のふるかわしおり先生に、作品や、漫画家人生、はたまたプライベートについてなど、様々な質問に答えて頂く単独ロングインタビューが実現。
インタビュー後編となる今回は、漫画家を目指すきっかけや、漫画家としての生活について、さらには好きな男性のタイプまで、貴重なお話の数々を伺った。
※動画は「taishu.jp」で
――先生が漫画家を目指されたのはいつ頃からですか?
保育園に通っていた頃から絵を描くのが好きで、漫画家にしかなりたくなかったんですよね。
マンガが好きだと言っていたら、近所の方が雑誌を持ってきてくれて。でもそのマンガが、全部ホラーだったんですけどね(笑)。
それと家族がマンガを読むことに反対しなかった環境があったことが、漫画家になれたことにつながっているかもしれません。自分が描けないものを家族に描いてもらったりなんてこともありましたし。
――家族の応援は大きいですね。初めてマンガを描いたのはいつでしょうか?
小学校の2、3年生の頃だったと思います。ノートに描いていたんですが、最初はコマが割れないので4コマのように画面を4分割にしていたんです。
でも、それだとメリハリがないなと思って、何が違うんだろうと観察していくうちに、どんどんコマ割りをしていくようになって、そのマンガノートを貯めていきました。
初めて原稿用紙に描いたのは中学1年生の時です。おこづかいを貯めて、原稿用紙と、ペン、インク、トーン【※模様柄など用途ごとに様々なパターンが印刷された粘着フィルムで、切り抜いて画に貼りつけて使う】を買うところからスタートして。でもトーンはすごく高いので、貼れないところは自分で描きこんでいきました。
中学1年生の時、初めて『別冊マーガレット』の編集部に原稿を持ち込みました。ただ、どうやって編集部のある神保町まで行ったのか、記憶が無いんですよね、子供のころすぎて。
その初めての持ち込みの時に、「描き方を間違えてますよ」って注意されて。基準枠ではなくて、原稿用紙いっぱいにまで描ききらなければいけないことを、そのとき初めて知りました。持ち込んで実際に見てもらわなかったら、その指摘も頂けなかったので本当に持ち込んでよかったと思います。
「一番大変なのは、『続けること』」
――その時に描いた原稿を、友達に見せたことはあったんですか?
思春期の頃なんで、マンガを描いているといったら奇異な目で見られることもあって……。でも、自分が目指しているものは否定したくなかったので、デビューしてから言おうと思っていました。
マンガを描いているだけで満足できる人と、プロとしてデビューしなければ満足できない人といると思うんですが、私は後者だったので、とにかくデビューするためにはどうすればいいのか考えながら描いていました。
中学校の3年間、夏休みなどを使って1年に1本ずつマンガを描いて、春休みに投稿して、デビューできなかったらまた1年間頑張って、ということを繰り返していました。
――そのあと高校生でデビューされて現在まで漫画家を続けられた中で、大変だったことは何ですか?
創作の悩みも、精神的なツラさもたくさんありましたが、作品が産まれた瞬間にそういったことを一瞬で忘れてしまうんですよね。原稿を渡して「面白かったです」の一言をもらえた時に、この言葉が聞きたくて頑張っていたんだな、と思って。
だからもう1回スタートできるんでしょうね。毎月の締め切り前はツラいんですけど、渡した瞬間にもう次の回のことを考えていますから。
一番大変なのは、「続けること」だと思います。続けていかないと、良いことも悪いことも無いし、評価をされることもないし、カタチとして残してもいけないですから。
私は自分のしていることを捨てられないし、これが人生だから、こんなに楽しくてこんなにツラいことを続けられていることが幸せだと思います。
「『今の仕事ができていることは幸せだな』って嬉しくなります」
――そうやって「続けていく」ために、何か意識していることなどはあるのでしょうか?
モチベーションを保つということに関しては、自分でもコントロールできない部分があって、集中のスイッチが入るのに時間がかかるときと、一瞬で入るときがあるんです。
例えば、ようやくスイッチが入った時に、宅配便が来たりしたら一気にスイッチが切れちゃうときがあるんですよ。それで一日が終わってしまったり。
だから宅配便を受け取るのは嫌いですし、携帯も電話以外の着信音は切っています。さらに集中したいときは、「この時間帯は出られません」と断りを入れてから電源を完全にOFFにしたりしています。
それとプライべートでは、心を乱されないように穏やかに過ごすようにしています。良いことがあれば仕事もノるんですけど、逆に悪いことがあったときにも仕事に影が出ますから。
仕事では、責任もありますしピリピリしたりすることはあるんですけど、プライベートで怒ることがほとんど無いんですよ。マイナスなことも口にしたくありません。
また、目標を作るようにもしています。1年後の理想を思い描きながら作業をしてみたり。そうやって続けて頑張っていれば、人生のオマケとして何かお話をいただけたりすることにつながるかもしれないと思っています。
――そんな日々の中で、テンションが上がったり、嬉しくなったりする瞬間はどんな時ですか?
仕事ばかりでプライベートがほとんどないので、美味しいものを食べるときぐらいですかね(笑)。
例えばアシスタントさんに誕生日が近い人がいたりしたら、「お祝いで美味しいものを食べに行けるな。じゃあ、原稿を頑張ろう」という気持ちになりますね。
私は本当にマンガを描くことしかできないので、感動するレベルが低いというか、「通勤電車に乗らなくていい」とか、「家にいることが多いので毎日メイクしなくていい」とか、そういったことを考えて「今の仕事ができていることは幸せだな」って嬉しくなります(笑)。
「今月もお疲れさまでした。それと、肋骨折りました」
――なるほど(笑)。ちなみに1日のスケジュールはどのような感じなんでしょうか?
ネーム【※原稿を描く前に作る下書きで、漫画の設計図のようなもの】制作の時と、作画の時で違ってきますね。
連載が始まったときに、「徹夜はしない」って決めたんです。若い頃は「夜にマンガを描いて、昼夜逆転して」みたいなことに憧れていたんですが、締め切りから逆算すると半日損しているな、ってことに気が付いて。今は朝起きて夜寝る健康的なスタイルに変わりました。
ネームを考えるときは6時か7時に起きます。ノっているときは寝る瞬間から起きたくてしょうがなくて、「明日朝起きてネームがかけるのが幸せだな」と思って寝るんです。
でも逆に、ノっていないときはお昼ぐらいまで起きられないんですが、たぶん現実逃避でしょうね。起きたらやらなきゃいけない作業を、「できないでしょ」と思っているんじゃないでしょうか。
作画のときは、1日に制作できる下描きの限界枚数、ペン入れの限界枚数が分かっているので、それをこなしていく、という感じです。アシスタントさんが参加する段階に入ると、徹夜はしませんが、寝る時間をちょっと削って作業を続けたりしますね。
――作画といえば、以前、肋骨を折りながら原稿を描かれていたとお聞きしましたが……
元日に不慮の事故で肋骨が折れてしまいました。でも、元日だから病院は開いていないじゃないですか。調べてみると病院が5日からで、8日にはアシスタントさんが手伝いに来ることになっていて。
でも、「肋骨が折れた」って誰かに言ったところでくっつくわけじゃないから、とりあえずアシスタントさんが来るまでに作業を終わらせようと思って準備をしました。
8日になってアシスタントさんたちが来たんですが、初日から骨折したことを言うのがイヤだったので、作業が終わった時に言おうと思っていました。
でも、作業しながら会話してて、誰かが面白いことを言って笑ったときに、肋骨が痛くて。悟られないように「お腹が痛い」って言ってゴマかしました。
全ての作業が終わったあとに、「今月もお疲れさまでした。それと、肋骨折りました」って報告しました(笑)。
「マンガを描く以上に興味を持てることが無いんです」
――なかなか凄まじいエピソードですね(笑)。お聞きしていると本当にマンガ制作に没頭される毎日のようですが、マンガ以外の趣味にはどんなものがあるんでしょうか?
ゲームぐらいですかね。いまはアシスタントさんにすすめてもらって『スプラトゥーン』をやっています。
ただ、「ゲームをやりたいから仕事頑張ろう」というのなら良いんですけど、ハマってしまって「ゲームがやりたくて仕方がない」となってしまうのが怖くて。だからなかなかストーリーものには手が出しづらいんです。
映画なんかもそうなんですけど、ゲームからマンガに対してヒントを得る、みたいなことが無くて、自分の中では全く別物なんですね。
だから逆に自分の趣味をマンガに持ち込める方は羨ましいなって思ったりします。何かを突き詰めて、それをマンガにしていけるのはすごく羨ましいんですけど、私自身は本当にマンガを描く以上に興味を持てることがないんですよね。
あ、でも大好きなRADWIMPSのライブには行きますね。チケットが当たればですけど。
原稿制作の合間に、一人で行って帰ってくるという感じです。誰かと行って分かち合ってしまうと、原稿にその感動を持って帰ることができないので。たまに誘っていただいてライブに行ったときは、純粋にそのライブを楽しむことができるんですが。
――音楽の話が出ましたが、マンガの制作中はどんな曲をかけているんですか?
日本語を聞きたい日と聞きたくない日があって、聞きたい日はRADWINPSかONE OK ROCKが多いですね。『ファイブ』の作画的に、勢いのある曲を聴きながらでないと描けないということもあって。
それと、『ファイブ』をドラマ化して頂いたときに『学園天国』を楽曲提供していただいたミュージシャンの大石昌良さんの曲も、原稿が描きやすいですね。
他にもドラマでトシ役をやっていただいた佐藤流司くんのバンド、The Brow Beatも聴いています。
日本語が聴きたくないってときは、頭に日本語が入ってきて邪魔になっちゃうんですけど、それってもしかしたら集中力が無いときかもしれないですね。テレビの音なんかも同じで。
だから逆に集中しているときは、歌詞が記号として通り抜けていくので、同じ曲を聴いて作業していたアシスタントさんと曲の解釈の仕方が全然違っていたりします。
「たった1人でも読んでくださる方がいれば」
――さて話は変わりますが、『ファイブ』には実に様々なタイプの男性キャラクターが登場します。そこで、ふるかわ先生が実際に好きな男性のタイプをお聞きしてもよいでしょうか?
尊敬できる人で、仕事を頑張っている人。でも頑張っていてもその仕事が好きじゃない人は苦手です。あとは穏やかな人ですかね。振り回されたくないので(笑)。
――なるほど(笑)。ご自身の恋愛経験がマンガに生かされていたりすることはあるんでしょうか?
それは別物ですかね。ただ、恋愛感情にかかわらず、キャラクターには私の価値観が遺伝子として組み込まれているかもしれません。
例えば担当編集者さんとキャラクターの描き方で意見がぶつかったときは、自分の価値観として絶対にない提案をされたときなんですよね。正解だったとしても、価値観としてイヤなものは描けないので。
逆に自分ではしない行動や発言も、「このキャラクターならするよね」と思ったら描きますし、それが「キャラクターが勝手に動く」ということだと思います。
――そんな魅力的なキャラクターに溢れている『ファイブ』ですが、作品を応援してくださるファンのみなさんは、ふるかわ先生にとってどんな存在ですか?
読んでいただける方がいなかったら漫画家としてはやっていけません。とくに『ファイブ』は長い作品で、小学生だった方が今は結婚して子供を産んでいたりします。「引っ越しをしてもマンガを持っていきます」と言って頂いたりするのも、すごく幸せです。
大げさな言い方かもしれませんが、たった1人でも読んでくださる方がいれば、私は漫画家として生きていられるんじゃないかと思っています。
定期的にお手紙を頂いている方もいらっしゃって、結婚式の写真を同封してくださったりするんですが、もはや親族の立場というか、「知り合ったときは子供だったのに立派になって」と思ったり(笑)。
お子さんが産まれたときに「名前を“ひな”にしました」と言っていただいたときには、私がその方の人生に少しでも関われたのかな、と思えて嬉しくなります。
「『人生のピークはここだな』と思えることが、いまだに無いんです」
――素晴らしい交流ですね。では、ふるかわ先生にとって「マンガを描くこと」とはどういったことでしょうか?
やっぱり「人生」ですね。20周年をむかえましたが、漫画家でなかった時間を、漫画家でいた時間が超えたので、「人生」って言ってもいいかな、と思って。
それにマンガを描く以上に楽しいことがなくて。他にあったら教えてほしいですね。多分教えてもらっても、やっぱりこれ以上のものはないと思いますけど(笑)。
マンガを描いていてヘコんでしまった気持ちは、まあ美味しいものを食べたりしたら少し回復するかもしれませんが(笑)、やはりマンガを描くことでしか取り戻せないものだと思います。
――画業生活20周年を迎えますが、この20年は長かったですか? それともあっという間でしたか?
あっという間ですね。子供のときに「漫画家になろう」と思った瞬間の気持ちを、いまでも忘れていませんし。
実は連載が始まった最初の頃とても体調が悪くて、ペットボトルのキャップが開けられないくらいだったんです。
それでも手にペンを固定して、「こういう状態で描いていることがバレないくらいの原稿にしよう」と思って描いていました。
そんな時、尊敬している先輩から「しおりちゃんのマンガは楽しそうだよね」って言っていただいて、「自分に勝ったな」と思ったこともありました。
それ以降は「あの時にできたってことは、この先もずっとできるな」という感覚があります。
だから、「人生のピークはここだな」と思えることが、いまだにないんですよね。
「『褒められたい』って思った気持ちが今でもあるのかもしれません」
――おごることなく、誰よりも自分に厳しく接しながらマンガを描かれているんですね。
もちろん嬉しいこともたくさんあって、ドラマ化もそうですし、『ファイブ』以外にも挑戦させていただいているんですが。
デビューさせて頂いたとき、その月のデビューは2人だったんですが、もう1人の方がスゴく作画も上手い方で、べた褒めされていたんです。
逆に私はギリギリのデビューで、そのとき雑誌に載った批評が「画もヘタだし、内容も良くない」と酷評だったんですね(笑)。
ただもう「若さを買います」というだけの状態でデビューが決まって、もちろん嬉しかったんですが、同じぐらい悔しい思いがありました。
でも嬉しいだけのデビューだったら、その後の漫画家人生が違ったものになっていたかもしれないですね。
以前、当時の担当編集者さんにその話をしたら、「それ、自分の中で話が曲がっているんじゃない?」ってことになったので、その時の雑誌を読み返してみたら、やっぱり酷評されていて。「よくデビューできたね」って言われたので、「私もそう思います」って返しました(笑)。
その酷評を見たときに悔しくて、「褒められたい」って思った気持ちが今でもあるのかもしれませんね。
アシスタントさんたちがたまに、「この画すごくいいですね」って言ってくれることがあって。原画に対してアシスタントさんが意見を言うことってあまりないので、言ってもらったときにすごく嬉しくて。そういったことが「次回も良い原稿を描きたいな」って思えるきっかけになるし、やっぱり褒められたいですね(笑)。
褒めてもらうのって贅沢なことだな、と思います。
さらに今回、『ファイブ』シリーズを彩った名場面を作り上げた珠玉の原稿を紹介するスペシャルムービーを制作。以下でぜひご確認ください!
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