武藤敬司「猪木さんは“どんくささ”をカッコよく見せる」レスラー列伝インタビュー (2/2ページ)
氷が漂っているような海なんだけど、猪木さんが“泳ぐからついて来い!”と言い出して、俺らも飛び込むしかないじゃない。もう冷たくて死にそうになりましたよ。後から知ったんですけど、猪木さんは糖尿病だから血糖値を下げるためによく氷風呂に入っていたみたいで、あのときは若手レスラーがつきあわされたんだよ(笑)」
時は進み、1994年5月1日にアントニオ猪木VSグレート・ムタの試合が、猪木の引退カウントダウンマッチとして行われた。
「俺の毒霧で猪木さんの顔が緑に染まったら“勝ち”だなと思ってました。ムタは、本来なら新日本プロレスに存在してはいけないレスラーだから。猪木さんと向き合って“やっぱりプロレスが上手いな”と感じましたね。ただ、これが引退カウントダウンの最初の試合だったはずなのに、その後、カウントアップしていったから“話が違うじゃねぇか”と思ったけど(笑)」
2002年2月、武藤は新日を離れて全日本プロレスに移籍し、10月には社長になった。すでにジャイアント馬場は亡くなっていたが、武藤は“馬場イズム”を感じたという。
「力道山から始まった日本のプロレスの保守本流は馬場さんなんだよね。全日はNWAやAWAといったアメリカのメジャー団体とおつきあいしていたけど、新日本プロレスはそのラインがないから、タイガー・ジェット・シンを“作る”しかなかった。そんな猪木さんの背中を見てきた新日のレスラーのほうが、頭は柔らかいと思いますよ。ただ、俺が全日にいたときは、ファッションブランドとのコラボなど、いろんなチャレンジをしましたね」
現在発売中の『週刊大衆』5月20日号では続けて武藤敬司へのインタビューを掲載。武藤が「波長が合うレスラー」としてマサ斎藤について語る。