上皇后陛下が育てられていた蚕は奈良時代から宮中で育てられた日本古来種!その名も「小石丸」

みなさん新元号の令和にはもう慣れましたか?筆者のパソコンはまだ「れいわ」を一発変換してくれません(笑)。
過ぎゆく平成をそれぞれにお過ごしになったと思います。筆者は先月末、上皇陛下・上皇后陛下の肖像画を拝見しに皇居内の「三の丸尚三館」に行きました。
そこには、上皇后陛下が育てていた蚕で織った絹なども展示されていました。そのご様子は、みなさんもよくニュースで見ることがあると思います。
驚いたことに、実はその絹を生んだ蚕の品種は日本古来の在来種で、なんと奈良時代から宮中で育てられてきたというのです。
その名も「小石丸」・・・!!
可愛い・・・!
なんだか小さな童のようではないですか。

これは残念ながら小石丸ではありませんがカイコガの一種です
正倉院で保存されていた絹織物(古代裂)の復元に、その小石丸の絹が必要不可欠だったとのこと。展示室は上皇・上皇后陛下の肖像画に視線が集まっていましたが、私は正倉院に収められる宝物に釘付けに。小石丸が育てられていなければこのお宝を目にすることが無かったのだと思うと、感動しました。
しかしそんなお役だちの小石丸も、実は廃棄寸前だったことがあるのです。
そもそも小石丸って?小石丸は、きめ細かくけば立ちが少ない上質の糸を生み出しますが、繭から取れる糸は一般的な蚕の半分以下で産卵数も少なく病気に弱いため、とても飼育が難しいそうです。

左が小石丸の繭(画像出典:相模原市立博物館研究報告〈国立国会図書館より〉)
そうなると生産性が低くなることから次第に廃れ、昭和の終わりには宮中で廃棄寸前に。
しかし美智子上皇后陛下(当時は皇后陛下)が、「もう少し育ててみたい」と仰られ、廃棄はまぬがれます。そしてその後、正倉院の古代裂の復元に小石丸の生糸が必要だったことがわかったのです。
また、鎌倉時代の絵巻(1309年頃)の修理にも用いられ貴重な文化財を救うことに。美智子様、すばらしいご裁断です!
宮中養蚕の歴史皇室での養蚕の記録は「日本書紀」。
雄略天皇(5世紀後半)が后妃に養蚕を勧めたのが始まりだとされています。
その後の詳細は不明ですが、近代の記録では一時途絶えていた養蚕を復活させたのは明治4年、昭憲皇太后の時代でした。そのとき助言役として抜擢されたのは近代日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一です。
彼が携わった富岡製糸場が世界遺産に登録されたことが記憶に新しいと思いますが、文明開化後、富国強兵で日本の輸出業を支えた産業の一つが生糸でした。
そういった時代の流れもあり、産業振興の意味も込めて「皇后御親蚕」が復活した経緯があるようです。
その後戦争が始まり中断、明治12年に再開。再び中断され、明治41年に再開。大正4年に皇居内の紅葉山御養蚕所が新設されて現在に至ります。小石丸以外の品種の蚕も育てられています。
紅葉山後御御養蚕所(ウィキペディアより)
日本の蚕はフランスの養蚕業を救ったこともあります。19世紀中頃、フランスでカイコガの幼虫がかかる病気の「微粒子病」が蔓延し、養蚕業が大打撃を受けていました。そのときナポレオン三世から日本に蚕を譲って欲しいと依頼を受け、日本はそれに応えてその危機を救ったのです。
明治5年(1872)に完成した富岡製糸場はフランス人技師の指導のもとで建設され、繰糸機はフランスから輸入されました。女工たちは各地の製糸工場の指導者になりその技術を伝え、フランスに渡った留学生は染織技術を学び、明治期の染織業の発展に大きく寄与しました。このようにフランスと日本は糸によって結びつきがあるのです。
養蚕の手順宮中の養蚕は、皇后さまが携わっている儀式の一つになりますので、そのスケジュールはきっちり決められています。
・2 – 3月頃に、所の主任と助手が準備始め
・春に「御養蚕始の儀」(ごようさんはじめのぎ)にて掃き立てが行われる
・その1週間から10日後に「御給桑行事」(ごきゅうそうぎょうじ)が行われ、皇居内の桑園で栽培された桑を与える。それから10日後に2回目が行われる。
・蚕が成長すると「上蔟」(じょうぞく)が行われ、種類に適した蔟(まぶし)に移す
・1週間後、「初繭掻」(はつまゆかき)にて収繭が行われる。その後、繭を蚕糸科学研究所に移して生糸に仕上げる
・繭の出荷後、採種などの作業
・初夏、「御養蚕納の儀」(ごようさんおさめのぎ)が行われ終了
そもそも蚕は人が唯一家畜化した昆虫で、自然界には存在しない生き物。完全に野生への回帰能力を失ってしまった生物だと言われています。自然界に放したところで、すぐに捕食されてしまうし、自力で子孫を残すことができないとのこと。
これを聞くと本当に蚕が愛しくなってきました。皇室ではこれからも末永く小石丸を育てていって欲しいです。
最後に、美智子上皇后様がかつてお詠みになった御歌をご紹介しましょう。
・真夜(まよ)こめて 秋蚕(あきご)は繭をつくるらし ただかすかなる音のきこゆる(昭和41年)
・初繭を 掻きて手向けむ長き年 宮居(い)の蚕飼(こがい) 君は目守(まも)りし(平成8年)
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