櫻田義孝・前五輪相に直撃インタビュー「失言辞任の真相」

5月9日、「2020年東京五輪」チケットの申し込みが始まった。初日には「販売サイトへアクセスするだけで1時間以上待ちがザラ」(大会関係者)という盛り上がりを見せた。
徐々にお祭りムードが高まってきた東京五輪だが、五輪担当大臣の職にあったものの、失言で無念の辞任に追い込まれた櫻田義孝衆院議員は今、何を思うのか。
4月20日の辞任劇から約50日。櫻田氏が『週刊大衆』に打ち明けた真相とは⁉
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ーー前五輪担当大臣に、まずお聞きします。新国立競技場などの工期の遅れが心配されていますが?
「それは絶対に大丈夫。若い頃、大工だった経験から断言させてもらいますが、日本のゼネコンはどんなことをしても工期を守りますよ。できなかったら、信用失墜につながりますからね。
それより五輪で注意しなければならないのは、テロ対策。とにかく、入国の際に空港でのチェックを徹底してやらなければなりません。加えて、僕が大臣だったときに問題になったのは、交通渋滞と暑さ対策でした。暑さでいえば、やっぱりマラソンは過酷ですよね」
ーー五輪関連で言えば、NHK大河ドラマ『いだてん〜』は、見ていますか?
「見てますよ(笑)! 金栗四三さん(日本初の五輪選手でマラソンランナー)ね。オリンピックでは、ぜひマラソンを見てみたいです。メダルが期待できるんじゃないかな。あとは一瞬で終わっちゃうけど、陸上の100メートル走ですね。
前回の1964年の東京五輪の際は、まだ中学生でした。裕福とは言えない家庭でしたから、観戦には行けなかった。それだけに、五輪担当大臣になったときには、感慨深いものがありましたね」
ーーその担当大臣を途中で退き、無念だったのでは?
「もっと慎重に言葉を選んで発言していれば、五輪担当として働けたのにと残念に思います。政治家の発言の重さを改めて感じています」
ーー真相を知らない国民も多くいます。改めて、一連の失言について総括していただけますか?
「たとえば池江さん(白血病で入院した競泳の池江璃花子選手)についてはね、後に各社が私の発言を全文掲載してくれましたんで、読んでくれた人は分かると思うんですが、ぶら下がりの取材の際、治療に専念してほしい旨を述べた後、記者の質問に相槌を打つように“私もがっかりしましたね”といったら、そこだけ切り取られ、独り歩きして報道されてしまいました。
高橋比奈子さん(岩手選出の衆院議員)のことも、私が地元の柏(千葉)で建設会社やってたときに人手が足りず困ってたら、岩手から大勢の大工さんが応援に来てくれたことがありましたんで、岩手には強い思いがあって、何か恩返しをしなければという思いがあったんです。それが“空回り”してしまい、結果として思いとは裏腹に被災地の方々を傷つける発言となってしまいました。これについては、重ねて深くお詫びいたします。
私の地元は千葉県の柏なんですが、東日本大震災後、燃料会社の社長に頼んで4トン車いっぱいに灯油を積み込み、被災地へ運んでもらいましたよ。被災地に自腹で灯油や水などの支援物資を持って行った国会議員として、東北の復興には可能な限り貢献してきたという自負を持っています」
■大臣辞任について
ーーしかし、高橋議員のパーティで「復興以上に大事なのは高橋さんでございます」と発言したことが問題となり、即日、大臣を辞任されました。マスコミの印象はどうですか?
「正直、マスコミとの関係は残念に思いました。記者も僕も互いに警戒心を持って話していたら、気持ちが通じないでしょう。囲み取材でも国会答弁みたいなやりとりしていたら、お互いの人間性も分からなくなっちゃいますからね」
ーー経歴を拝見していると、今時の政治家には珍しく、田中角栄さんのような“叩き上げ”のイメージがあります。
「恐れ多いことだけど、地元では昔、よく“柏の角栄”なんて言われました(笑)。
私は農家に生まれ、母親は私を苦労して育てたんでね。子どもの頃から“人の役に立て! 偉い人になれ!”と言われ続けましたよ。ただ、勉強するにも貧しかったから、塾に通いたいって言えなくてね。高校3年のときには、大学に落っこちちゃって(笑)。
予備校に行く金もなかったんで、大工のバイトをしたんですよ。春休みだけのつもりが、あっという間に2年たって、私はもう“いまさら大学なんて……”と思ったんですが、周囲の薦めもあって夜学(明治大学の夜間)に入学したんです。もちろん、昼間は大工の仕事を続けながらでしたね。
母親の期待が大きかっただけに、人のためになる仕事がしたい、それには政治家がいいと考えたんですがね。親戚を見渡しても政治家はいないし、パイプもない(笑)。それでまず、25歳で独立(櫻田建設を設立)したんです。
冒頭でお話したように建設業界で工期を守るのは絶対不可欠。だから工期は必ず守りましたよ。今でも大工として家1軒くらい……まあ、大工の世界も当時から技術的に進歩した面はありますが、やり方はまだ体が覚えていますよ(笑)。
そうやって30歳で青年会議所に入り、33歳で理事長になったら、いろいろ公的な役職が増えてきましてね。柏市の役人や市長、市議会議員の方と会う機会も増え、そのうちに、市議になったらどうだという話になったんです」
ーー櫻田義孝衆院議員は、この後のインタビューで安倍晋三首相についても語っている。続きは5月27日発売の『週刊大衆』にて。