川崎市登戸無差別通り魔事件:ロマン優光連載136 (2/4ページ)
名古屋市連続通り魔殺傷事件の伊田和世は社会から孤立した中年女性だった。
そもそも、どこの誰がその人物を孤立した人間であるかどうか判断するのだろう。事件が起きると、犯人たちの社会から隔絶されていた様子が検証されるわけだが、それは事件が起こったからこそ解ったことだといってもいいと思う。
地域社会と関わりなく生きている独身者が、他方では趣味の領域で他者と繋がっていて、ある種のコミュニティにちゃんと属していて、充足した日常を感じている場合だってある。また、孤独を愛するだけで、社会に理不尽な憎しみを抱いているわけでもない人も当然いるだろう。そんなことは、はたから見て簡単にわかるようなことではないだろう。近隣の住民と理不尽で暴力的なトラブルを起こしがちな人間に対しては、それは当然警戒してしかるべきだが、そういうわかりやすい人たち以外に対して、どのような基準で線引きをして、どのようなやり方で警戒しようというのか。自警団的発想で異物を監視していこうとすることで、単なる弱者に無用な圧力を加えてしまうだけの結果も生まれかねない。こういったことは不用意に発言したり、実行したりするようなものではないと思う。そんな簡単に対処できることなら、とうの昔にああいった事件は根絶されているだろう。
犯人に共通する性質などは存在するが、結局のところ、何故彼らが踏み切ってしまったのかなんて、個々のきっかけなんて千差万別であり、はっきりとしたことなんかはわからないのだ。川崎で起こった事件についても、何もはっきりしたことはわからない。
犯人に対する怒りは当然だ。被害者やその家族のことを思えば、義憤にかられるのも当たり前の話だろう。本当に理不尽で許せない事件なのだから。かといって、小林よしのり氏のような、ある種の耳触りの良さを持つ、いくらでも拡大解釈ができるような、特に内容がないようなことを不用意に言うものではないと感じるのだ。