小賢しいヤツ…鬼平犯科帳の長谷川平蔵、実際は時代劇のイメージとはかけ離れていた! (2/3ページ)
他にも江戸中を荒らした凶悪強盗団の頭を捕まえるなどの活躍から「本所の平蔵さま」や「今大岡」と呼ばれ親しまれていました。
平蔵が長官を務めた火付盗賊改方とは?火付盗賊改方とは凶悪犯罪を取り締まる現代で言うところの機動警察隊の役割をしていました。
火付盗賊改方/フリー素材
江戸時代には大目付や町奉行などの警察組織はありましたが、大目付は武士、町奉行は町人と各々の担当は決まっていました。
それに比べて、火付盗賊改方には担当はなく現行犯であれば武家屋敷や寺社で逮捕することができ、捜査も武士や町人と身分に関係なく行えました。
しかし、町奉行と比べると給料は低く、役所がないので自宅を役所として使っていました。
火付盗賊改方は逮捕と捜査に重きを置いた役職だったので、どの役職よりもむごいほど厳しく取り調べをしたので悪人たちからは恐れられていました。江戸時代で一番過激な拷問されている「海老責め」を考案したのは火付盗賊改方でした。
このような役職の長官を平蔵は歴代長官の中で最長の8年勤めました。
意外と酷評な平蔵……平蔵は庶民からの評価は良かったのですが、火付盗賊改方の同僚からの評価は悪かったようです。平蔵のライバルである森山孝盛は「小賢しいやつ」と平蔵を批判しています。
また、上司である定信からも嫌われていました。その理由は不正を行ったからでした。
平蔵は人足寄場の予算増額を定信に訴えますが却下されます。困った平蔵は運営費をまかなうために銭相場(今でいう投資)に手を出してしまいます。
定信にとってこの行為自体が嫌っていた田沼意次を思い起こすものであったので、前述したような結果となってしまうのでした。