日々是精進・生涯現役…禅を究めた幕臣・山岡鉄舟の修行時代エピソード

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日々是精進・生涯現役…禅を究めた幕臣・山岡鉄舟の修行時代エピソード

幕末三舟(ばくまつさんしゅう)の一人として、勝海舟や高橋泥舟と共に活躍した山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)。

男前すぎる!西郷隆盛と対峙した偉大な幕臣、彼の名は「山岡鉄舟」[前編]

明治維新における重要な役割を果たした鉄舟は剣・禅・書を究めた達人としても知られますが、若き修行の時代がありました。

今回は、そんな山岡鉄舟の修行時代のエピソードを一つ紹介したいと思います。

「真に一切皆空ならば……」独園和尚との出逢い

剣禅一如(けんぜんいちじょ。剣と禅は一つのようだ≒相通じている)」とは剣豪でもあった戦国末期~江戸初期の禅僧・沢庵(たくあん)和尚の言葉ですが、若き鉄舟は剣術と共に禅にも強い興味があり、様々な寺へ参禅(さんぜん。禅を学ぶこと)していました。

当初は熱心に学び、多くの知識を蓄えたまではいいのですが、あちこちでおだてられていく内、次第に「自分はもう禅学を究め、悟りの境地に達した」と傲慢になっていったようです。

そんなある時、京都・相国寺(現:京都市上京区)の住職である独園(どくおん)和尚を訪ねた折、いつものように自らの「悟りの境地」を滔々と語り聞かせたのでした。

「……禅の奥義とは一切皆空(いっさいかいくう)すなわち無であり……」

始めはニコニコと傾聴していた独園和尚ですが、鉄舟の話が終わらない内に木魚の撥(ばち)で、鉄舟の頭にポカリと一撃を喰らわしました。

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「おのれ、何をするか!」

鉄舟が瞬時に激昂するのも当然ですが、独園和尚は涼しい顔で答えます。

「真に一切皆空ならば、そなたの癇癪いずこより生ぜしか」
(※本当に何もない≒悟りの境地に達したというなら、お前の癇癪はどこから湧き出たというのか)

そう諭されて、鉄舟はぐうの音も出なかったそうです。

今まで鉄舟が得意気に語っていたのは口先だけの「口頭禅(こうとうぜん)」に過ぎず、禅とは何もない「一切皆空」であるという知識を持っていただけで、自分自身が一切皆空を体現できていない未熟さを思い知らされましたのでした。

そんな傲慢さが真実を見極める眼を曇らせ、独園和尚の撥すら避けられなかった失態を恥じた鉄舟は、改心して禅の修行に励んだということです。

まとめ

知識はただ知っているだけでなく、日々の生活やここ一番など実践に活かすことが出来て初めて「知恵」となります。

もうこれで極めた、充分だなどと思ってしまうのは未熟な証拠で、常に真摯な姿勢で人生の修行に臨み続けたいものです。

※参考文献:
蔡志忠『マンガ 禅の思想』講談社+α文庫、1999年4月14日 第2刷

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