歴代総理の胆力「山県有朋」(4)「元祖・健康オタク」の塩風呂 (2/2ページ)
翌日の新聞は、記者の感想として、山県より先に逝った大隈重信と比べ、次のように報じたものだった。
「国葬らしい気分は少しもせず、まったく官葬か軍葬の観がある。同じ場所で行われた“不老長寿”のような大隈侯の華々しく盛んであった国民葬を想い、“寒鴉枯木(かんあこぼく)”(寒空の枯木にカラスがぽつんと止まっているさま)のような寂しい“民ぬき”の国葬を眺めて、何と云っていいか判らぬ気持ちになった」(『東京日日新聞』大正11年2月10日付)
なるほど、国民とは遊離した存在だったことが、改めて明らかになる。大演習の際、大正天皇が先に敬礼をし、それに山県が応えたとの噂があったほど、国民に親しみが湧かぬ尊大な人物でもあったのだった。
戒名は「報国院釈高照含雪大居士」。東京・文京区音羽の護国寺にある山県の墓柱には、「枢密院議長元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵」と明治国家の比類なき位人臣を極めた絶対権力者の、これ以上なき“証し”が刻まれている。
■山県有朋の略歴
天保9年(1838)6月14日長門国(山口県)萩城下の生まれ。松下村塾で学ぶ。奇兵隊軍監として戊辰戦争参加。陸軍卿、西南戦争征討軍参加を経て、参謀本部長兼参議、内務卿。大正11年(1922)2月1日死去。享年83。国葬。
総理大臣歴:第3代1889年12月24日~1891年5月6日、第9代1898年11月8日~1900年10月19日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。