素足で走った村田富江のモデル、テニスプレーヤー・田村富美子のスポーツ人生!「いだてん」第22話振り返り (2/2ページ)

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まさにアイドルのような存在だったわけです。

金栗四三との出会い

富美子はドラマと同様、医師の父を持っていました。父と同じく医者である祖父に養育されましたが、ドラマと違うのはスポーツをすることを反対されなかった、ということでしょうか。むしろ祖父は丈夫に育ってほしいと積極的にスポーツをさせたようです。

富美子がテニスと出会ったのは小学6年生のとき。金栗との出会いよりも先にスポーツの楽しさを知っていたのです。富美子は東京女子高等師範学校附属高等女学校に進み、軟式テニスに明け暮れました。

金栗と出会ったのは大正9年のこと。当時竹早で教師をしていた金栗が、富美子のいるお茶の水女子高師附高女にスポーツ好きの女学生数人を連れて行ったときのことでした。ドラマのようにがっつりと先生・生徒という関係ではなかったようです。

ただ、金栗が女学生たちから「パパ」と呼ばれていたのは史実だそうですよ。

女子として初!国際テニス大会へ出場

特筆すべきは、富美子は女子として初めて国際テニス大会に出場し、優勝しているということでしょう。大正12年、日本・フィリピン・中華民国の3か国を主な参加国とする「極東選手権競技大会」に、富美子はテニス選手として参加したのです。

ただ、この大会に女子選手が参加するというのは前例にないことで、社会では随分議論されたようです。一時は富美子とペアの久子の参加も危ぶまれましたが、紆余曲折を経て参加。そして華々しく優勝したのでした。シングルスでも日本の金田咲子が優勝しています。

これだけ日本女子テニスの、そして日本女子スポーツの先駆者として活躍した富美子ですが、オリンピックに出場することになる人見絹江に比べると知名度は高くないようです。ドラマで村田富江が注目を浴びたことで、こういう女性もいたのだ、と広く認知されたのはいいことですね。

さて、この後の富美子の人生についてはドラマで追うとして……大正12年というと避けて通れないのが関東大震災です。予告編を見る限り、次回震災がじっくり描かれるようです。

関東大震災は四三たちにどのような影響を及ぼすのでしょうか?

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