古来日本では「日傘男子」は日常的風景だった。幕府が男性の日傘を禁じたこともあったほど (3/4ページ)

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繰り返される贅沢禁止の御触れ!江戸時代の倹約令ではどんなことが制限されたの?

寛延2年(1749)、京都で大人の日傘使用禁止のお触れが出ます。特に男性の日傘使用が厳しく禁じられたようです。

また、加藤 曳尾庵(かとう えいびあん)という水戸藩士で文人・医師である人物が記した随筆『我衣』には、江戸町奉行の水野備前守も日傘に対し苦言を呈したと記してあります。

文化・文政期(1804~30)になると、老中・松平定信が財政再建のため、いわゆる「贅沢禁止令」を発効します。娯楽本・髪型・簪の数、着物の柄や素材など様々なものが制限・制約されました。日傘を目にするのは歌舞伎の芝居道具か花魁道中ぐらいになったようです。


弘化年間(1844~47)に入ると、ようやく日傘が市中で見られるようになりますが、おおっぴらに解禁ムードになったのは幕末の嘉永年間(1848~1855年)の頃。男女問わず日傘は日常使いされていたといいます。

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