間違ってた座禅の心構え:警策に打たれすぎてもNG?「座禅=叩かれればいい」ではない (2/3ページ)

Japaaan

印は右手を下に左手を重ねて仰向け、親指同士をつきあわせます(ちなみにこの逆は天台宗とのこと)。

結跏趺坐が難しい方は半跏趺坐、または胡座(あぐら)でもよいのですが、体の中心がまっすぐになるように、自分の鼻とおへそが垂直かを意識。左右に体を揺らしながら徐々に体勢を整えます。

さて、しんと静まる瞑想の時間。

私はそれまで数回、座禅会と写経を体験したことがあり、結跏趺坐どころか半跏趺坐もできない未熟者のくせに、経験値が少し高まったという驕りがありました。

しばらくして疲れてくると、「警策を頂こうかな」という気分に。

「座禅していて、集中力が途切れたり意識が散漫になったときに、前屈みになって警策を頂くのだよな」などと通ぶって、僧侶(直日、直堂と呼ぶ)が背後に歩いてきたときに、すっと前屈みになり首を左にかしげ、右肩を差し出しました。

ぱしん!

右肩を叩かれるといっぱしの修行者になったような気持ちに成りました。
しかし、それ以降、警策の音は鳴りません。

「あれー、今回は私だけなのかぁ」などと思いながら終了。

「座禅=叩かれればいい」ではない

帰り際、直日の僧侶に「警策を頂きありがとうございました」と挨拶すると、なんと驚きの返答が。

実は「禅道が伝わった鎌倉時代は警策は存在せず、江戸時代に始まった」ということで、「むやみやたらに打ってもらって気持ちいい、という考えは邪道といえます」と教えられました。

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